源氏物語を読むコツ 芭蕉と明石と須磨

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 息子が小さい頃、よく家族旅行に行きました。彼が小学校四年生の時、「源平合戦の戦場が観たい」とリクエストされました。一の谷→屋島→壇ノ浦と夏休みにまわりました。
 山陽電鉄須磨浦公園駅で降りて、ループーウエイで鉢伏山まで上ります。見下ろす浜が源平合戦 一の谷の戦いの古戦場です。晴れると見事な景色が眼前に現れます。淡路島も淡路海峡大橋も観ることができます。この風景は絶景という以外、他に言葉が見つかりません。

 私たちは行きませんでしたが、松尾芭蕉は、そこからさらに、旗振山→鉄拐が峯まで行ったようです。旗振山とは、大阪堂島の米市場の相場を岡山方面へリレー方式で伝えるための旗振り場が明治時代にあったため名付けられたようです。

 芭蕉はこの鉄拐が峯で、俳句を詠んでいます。

かたつぶり 角ふりわけよ 須磨明石

 貞亨五年(1688年)の春に故郷伊賀を出た芭蕉は、吉野→奈良→大阪を経て須磨に来ています。その時「鉄拐が峯に昇ると須磨と明石が左右に分かれて見える」と弟子への手紙に書いています。

 上記俳句の意味は「かたつむりよ、角を振り分けて須磨と明石を示してくれ」です。鉄拐が峯から須磨明石の見事な風景を芭蕉が観た時に読まれた句です。

 弟子への手紙にはこのようにも書かれています。「須磨と明石との境は『這いわたる』程度の近さと『源氏物語』に書いてあるのも、このあたりだろか」

 源氏物語では須磨も明石も重要な土地です。光源氏は失脚を恐れて都を去り、須磨に向かいます。その後明石に行って、明石の君と結ばれます。源氏物語を愛読していた芭蕉は源氏物語 須磨の巻の「明石の浦はただはひわたる程なれば」という部分を記憶していたのでしょう。「須磨から明石の浦は気軽に歩いて行く程度の距離なので」という意味です。そこに用いられている動詞「はひわたる」から芭蕉は「かたつむり」を連想してこの句を詠んだのでしょう。

 いいな~。須磨・明石はぜひ行ってみて下さい。魚は最高においしい。チェーン店がほとんどなく地元の小さなお店ががんばっている(つまり、市民が支えている)。そしてなんといっても歴史の宝庫です。

 いいな~。我が國は美しい。

 源氏物語を通して読むのはかなり困難です。でも、須磨と明石の巻を持ちながら、読みながら旅をしてみませんか? そうやって少しずつ、世界に誇る我が國女性の優秀さと、世界最古の女性文学を身近に感じてみませんか?

※JR東日本月刊誌「ひととき」の記事を参考に加筆しています。

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このページは、宝徳 健が2013年6月22日 21:50に書いたブログ記事です。

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