周詳と易簡

| コメント(0) | トラックバック(0)
 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

 「事を慮るは周詳ならんことを欲し、事を処するは易簡単ならんことを欲す」
 「物事を考えるときは周到であり綿密であって見落とし等がないことが大切だが、熟慮した上でいざ着手する時は、手早く簡単に片づけてしまうことが大切である」

 昔、「エースをねらえ」というテニス漫画がありました。漫画の事かと笑われるかもしれませんが、宗形コーチが「緻密にして大胆、そして、限りなく豊か」という言葉を用いていました。

 当時私は高校生。インターハイを目指してテニスまっしぐら。というかテニスしかしなかったと言っても過言ではありません。「勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい」「強くなりたい、強くなりたい、強くなりたい」という気持ちが先走り、ずいぶんと人も傷つけてきました。そんなときに、この言葉を見て愕然としました。

 では、今の私はどうか。先日ORKさんからコメントをいただきました。改めて自分自身が恥ずかしくなりました。

 月刊誌士魂商才を書く、このブログを書く、本を読む・・・・・。その理由は、私が出来ていないからです。常に、自分の小ささを自覚しておかなければ、世界一馬鹿な私は、すぐに乱れてしまうからです。

 三十歳の時、自分を変えたくて、かたっぱしから色々なことに当たりました。あるお寺に座禅を組みに行きました。座禅の後、和尚さんの説法があります。触れば他人が傷つく刃のような性格だった私は、和尚さんに食って掛かりました。「和尚さん、そんな偉そうなことを仰いますが、和尚さんは出来ていらっしゃるのですか?」

 和尚さんは、最高の笑顔で、こうお答えくださいました。「いいえ」

 馬鹿な私はまた愚かな質問をしました。「では、なぜ、私たちに、そんな偉そうな話をするのですか?」

 和尚さん・・・。「自分の小ささを知るためです」

 打ちのめされました。目から鱗が落ちるなどというレベルではありません。私は人生の転機に当たって、必ず自分が一度最低の状態になります(五十を過ぎてからは亡くなりましたが)。その時に、必ず、素晴らしい出会いがあります。もし、この時に、和尚さんに出逢っていなかったら、私はどうなっていたのでしょうか?

 佐藤一斎先生の「言志四録」を一日一度読むたびに、そんなことを考えています。毎日やらんと駄目わ。百八歳まで生きたいのは、こんな馬鹿人間をしっかりさせるためには、そのぐらいの寿命が必要だと言うことです。今日も良い言葉に出逢ったな。感謝合掌。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/4798

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2013年7月21日 00:13に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「桃葉湯」です。

次のブログ記事は「ごめん!!!(皇紀二千六百七十三年七月二十日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。