石川五右衛門

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 なんでしたっけ? 名前も一一覚えるのも鬱陶し、伊藤博文を殺した男・・・。ああ、安重根だ。本当にこの男が殺したかどうかもわかりません。朝鮮を救おうという我が國の心もわからずに・・・。

 そして、朝鮮では、この男が英雄になっているのだとか。

 例えば、我が國の國民が、マッカーサーを殺していたらどうなっていたでしょうか?今、もう、日本はありませんよね。相変わらず馬鹿な國です。

 さて、我が國では、犯罪者にもユニークな物語があります。今日の産經新聞に面白い記事が載っていたので、書き止めます。
 文禄三年(1594年)八月(世界史でいうと、欧州諸國が世界各地を植民地化し始めたころです)、豊臣秀吉の伏見城から天下一の香炉「千鳥」を盗み出そうとした石川五右衛門が捕えられ、一族郎党共に処刑されました。

 著形状は京都・三条河原です。この地は、これまでたくさんの血が流れた処刑場です。三条大橋の辺りです。

 刑場に着いた石川五右衛門ですが、いっこうに動揺した表情は見られず、平然としたままでした。橋の下には大きな鉄釜が用意されていました。中に張られた湯が、釜を隠すほどに釜の下からあふれ出した火により、地獄絵図のごとくグツグツと音を立てながら煮えたぎっていました。

 橋の上や河川敷などには、大盗賊の最期を見ようと民衆が群がっていました。声たかだかに罪状が読み上げられました。この時の石川五右衛門が、格好いいのです。「カッ、カッ、カッ」と笑った石川五右衛門は、得意満面の様子で辞世の句を詠みだしました。このあたりが日本ですね~。盗賊が死を目前にして詩を詠むなど、欧米では絶対にありえません。

石川や~っ 浜の真砂は 尽きるとも~ 世に盗賊の 種は尽きまじ~

 格好いい~!!! 民衆からは拍手喝采でした。

 満足そうに見渡す五右衛門は傍らにいた我が子、五郎市を抱きかかえると、一気に釜の中に飛び込みました。

 熱湯の中で我が子を両手に挙げて必死に耐える石川五右衛門。業を煮やした役人は、釜の中に油を注ぎました。なみなみと油が注ぎ込まれます。「ドン」という音と同時に油が引火し、五右衛門はズルズルと釜の中に姿を消しました。

 歴史家や評論家の中には、①我が子を長時間苦しめたくなかったから、②釜の底があまりにも暑いので、我が子を下敷きにした、③熱さに耐えられず、泣き叫びながら沈んでいった

などと言う人がいますが、こういう人たちを「無粋」と言います。

 「梟の城」という直木賞受賞作がありました。本も読みましたし、映画も観ました。

 うん、我が國は、泥棒も格好がいい。

五右衛門が 死の間際にて 見栄を切る 民の喝采 歴史に遺る


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このページは、宝徳 健が2013年10月 6日 11:11に書いたブログ記事です。

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