師友地

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「子を易(か)えて教うるは、固(もと)より然り。余謂(おも)えらく、「三つの択ぶ可きもの有。師択ぶ可し。友択ぶ可し。地択ぶべし」と」

「昔の人は、子供を取り換えて教えたというが、まことに結構なことである。自分はこの時に三つのことを択ばねばならないと思う。第一は先生を択べ第二は、友を択べ、第三はその土地を択べ、ということである。」

 先日紹介した孟子の言葉が入っていますね。でも、これはいい言葉だ~。

 師。私は、人生の岐路で必ず素晴らし師に出遭ってゐます。師範学校出の先生には、素晴らしい方がいました。今の教育大学出の先生はだめ。小学校四年生の時の、高橋一三先生。この方は、私の姿勢を正してくれました。中学校一年生の時の原田先生。この方は、私が悪の道に入るのを泣きながら、体を張って阻止してくれました。大学時代の櫻本先生。この方は、私に生きる智慧を与えて下さりました。社会人になってもそうです。まあ、「かつての」出光には、綺羅干のように輝くおっさんがたくさんいましたから、全て師でした。かなり不都合・不合理・鬱陶しさがあふれでた人ばかりでしたが(笑)。今の出光は、ずいぶんお行儀の良い会社のなったこと。

 だって、昔は戸塚ヨットスクールみたいな会社だったんだもの(笑)。それぐらいでないと、人を鍛えることはできません。その不都合・不合理・鬱陶しさを味わいながら、わたしは「かつて」の出光を働きながら誇り思っていました。世界で唯一の会社だったからです。

真に働く姿を顕現し國家社会に示唆を与える

 今の出光にはなくなってしまった、佐三店主の言葉「出光の第二の定款」です。

 でも、よく考えてみると、私は幸せ者ですね。常に人生の転機によい師を得ています。

 友。これなくしては自分の人生は語れません。失礼な表現ですが、クライアントとの出会いも友以外のなにものでもありません。

 土地。私は、親父の仕事の都合で根無し草です。でも、一番長く住んだ、博多が一番好きで「博多出身」ということにしています。今は、事務所がある岐阜も大好きです。

 あ~、心が安らぐ。朝一番からこういう言葉に触れるといいですね。

朝出逢ふ たったひとつの 言の葉が 吾の心に 深く染み込む

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このページは、宝徳 健が2014年1月21日 02:51に書いたブログ記事です。

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