聖人は人と同じからず

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「「憤を發して食を忘る」とは、志氣是(か)くの如し、「楽しんで憂を忘る」とは、心體是くの如し、「老の将(まさ)に至らんとするを知らず」とは、命を知り天を楽しむこと是くの如し。聖人は人と同じからず。又人と異ならず」
「「物事の道理を探求して判らないところがあると、それをどうしても求めようとする憤の気持ちが昂揚して食事も忘れる」というのは、孔子の志がこのように盛んであったことを示すものである。「何事も明るく楽しく受け取って、一切の憂を忘れてしまう」というのは、孔子の心の持ち方がいかに健全であることを示すものである。「一心を求めて、年をとることも覚えない」というのは、孔子が天命を知り天堂を楽しんでいたということを示すものである。このように考えてくると、聖人は忘食・忘憂・忘老と我々が及び得ない境地にあるようであるが、又、食が必要であり、憂を感じ、年もとる点などを考えると、我々とそんなに違っていないようにも思われる。努力次第で我々も聖人になれるのではないか」

 こういう気持ちになってみたいものです。

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このページは、宝徳 健が2014年2月24日 04:59に書いたブログ記事です。

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