百人一首 二十三

| コメント(0) | トラックバック(0)
 平安時代の人々の教養がうかがえる歌です。作者は大江千里(おおえのちさと)です。

月見れば 千々(ちぢ)にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど

「秋の月を見ると、あれこれいろいろなことが悲しく思われてくるなあ。別に秋は、私一人のことろに訪れたわけではないのだけれど」

 この歌には唐の白居易という詩人の歌を自分なりに翻訳しています。漢文の教養がない今の私達。うらやましくなります。
 自分の狭い考えだけに固執して、すぐに人の責任にしたり、感情的になったり、相手を責めたりする今の私達です。國語を徹底的に學んでいないからです。我が國の言葉は「表意文字」と云って、一つ一つに意味があります。英語やハングルや今の支那語は、表音文字です。文字に意味がありません。表意文字を學ぶと情緒が豊かになりますが、表音文字で育つと直情的になります。

 たとえ大學を出て、専門分野の知識を得たとしても、情緒が豊かでないと、使い物になりません。まさに明治時代に西洋化が進み、我が國の伝統が踏みにじられようとした時、明治天皇が憂いた通りになりました。当時は、明治天皇が教育勅語をお出しになり、その危機を防ぎましたが、敗戦後の自虐教育を受けた私達は、この誤った傾向を止めることができるのでしょうか?

 この歌は、白居易の「燕子楼中霜月の夜、秋來たってただひとりのために長し」という歌を用いています。愛する男性に先立たれた女性が月を見上げてひとりぼっちの秋の夜の長さを詠嘆する、といった内容です。

 千里は、この歌をそのまま用いていません。「わが身ひとりの秋にはあらねど」と「自分一人の秋じゃない」と云っています。また「月」を「千々」に、「わが身」と「ひとつ」がある点に注目されます。自然と人間、天上と地上、複数と単数といった具合に、前半と後半に対になるものを置き、あざやかに対照させています。

 私たちは、この教養を失ってしまいました。歴史を断絶させてしまいました。敗戰後の我が國に生きる國民は、知らず知らずのうちに、歴史的大罪を犯しています。気づいていないことが最も恐ろしい。

失ひし 続きしことを 失ひし 歴史の罪を いかにか負はん

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5218

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年2月28日 02:11に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「霞始靆」です。

次のブログ記事は「克己復礼」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。