百人一首 參十四

| コメント(0) | トラックバック(0)
誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
 藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の歌です。

「年老いた私は、誰を長年の友人にしやうか。私と同じ年をとった高砂の松の老木さえ、昔からの親友ではないと云ふのに」

 年老ひた作者の周りで、ひとり、またひとりと親しい友人たちがこの世を去つてゐきます。ふと氣づくと、自分一人だけが取り残されています。自分と同じぐらい生きてゐるのは、長寿で有名な高砂の松くらひですが、話し相手にもなりません、この先いったい誰を友とすればよひのか。老人の寂しさがよく現われている歌です。

 高砂の末は、播磨の國(兵庫県高砂市)の高砂神社の境内にある、区と末と赤松がひとつの根からはえている相生の老木のことです。播磨の高砂といへば松の名所。現代は五代目だそうです。

三代目相生の松


トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5268

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年3月23日 08:20に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「法隆寺聖霊会(皇紀弐千六百七十四年參月弐十壹日の日誌)」です。

次のブログ記事は「歴史的假名遣ひと正しい漢字」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。