| コメント(0) | トラックバック(0)
 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「人は恥無かる可(べ)からず。叉悔無かる可からず。悔を知れば則(すなは)ち悔無く、恥じを知れば則ち恥無し」
「人間には、恥を知ると云ふことがなくてはならない。また、悔い改めると云ふことがなくてはならない。悔い改めることを知つておれば、悔い改めることはなくなるし、恥を知ることを心得ておれば、恥をかくことはなくなるものである」

 愛は動物にもあります。でも、敬は人間にしかありません。「敬」つまり、「ああ、自分はかうなりたい、ああなりたい」と云ふ目標のやうなものです。敬と今の自分を見比べると、今の自分の方が劣つてゐます。だから、「恥じ」ます。人間はこれた大切です。でも、「敬」の気持ちを有しない人が半分ぐらいゐると云はれてゐます。つまり、動物と同じ状態の人が半分ゐると云ふことです。正しい、目標があるから、自分の立ち位置がわかる(マインドフルネス)。立ち位置が分からない人間は成長しません。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5387

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年5月23日 07:14に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「百人一首 五十六」です。

次のブログ記事は「歴史的假名遣いと正しい漢字」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。