金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 ちやんとした本當の日本語を、不朽の名作 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら學習してゐます。

 さて、有爲子は・・・。
 私といへば、目ばたきもせずに、有爲子の顔ばかりを見つめてゐた。彼女は捕jはれの狂女のやうに見えた。月の下に、その顔は動かなかつた。

 私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思つてゐる。しかるに有爲子の顔は世界を拒んでいゐる。月の光はその額や目や鼻筋や頬の上を容赦なく流れてゐたが、不動の顔はただその光に洗はれてゐた。一寸目を動かし、一寸口を動かせば、彼女が拒まうとしてゐる世界は、それを合圖に、そこから雪崩れ込んで來るだらう


 私は息を詰めてそれに見入つた。歴史はそこで中斷され、未來へ向かつても、何一つ語りかけない顔。さういふふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの切り株の上に見ることがある。新鮮で、みづみづしい色を帯びてゐても、成長はそこで跡絶え、浴びるべき筈のなかうつた風と日光を浴び、本來自分のものではない世界に突如として曝されたその斷面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。ただ拒むために、こちらの世界へさし出されてゐる顔・・・・・。

 私は有爲子の顔がこんなに美しかつた瞬間は、彼女の生涯にも、それを見てゐる私の生涯にも、二度とあるまいと思はうzにはゐられなかつた。しかしそれが續いたのは、思つたほど永い時間ではなかつた。この美しい顔に、突然、變容が現はれたのである。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5569

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年8月14日 01:12に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「旧恩と新知」です。

次のブログ記事は「言ふなとは云はれるけれど・・・(皇紀弐千六百七十四年八月十三日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。