凛として 四

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 つづきです。
第1章 旅立ち
「どんな仕事も新鮮」蒸留所に飛び込み目と肌と鼻で学ぶ

ツテもなく渡英した24歳 つづき


 グラスゴーは商工業の中心都市で、外国人も多かった。

 グラスゴー大のマルコム・マクラウド副学長は「当時この町は、留学生を特別聴講生として積極的に受け入れていました。授業料も必要なかったようです。でも日本人は珍しく、タケツルで、三人か四人目の日本人聴講生でした」と説明する。現在、グラスゴー大学の日本人留学生は三十二人いる。

 政孝は有機化学と応用化学を専攻する。初受講の日、ロイヤル工科大のフォーサイス・ジェームズ・ウィルソン教授が見なれない生徒に、「Are you Spanish?」と聞いた。

 「No I am not. I am Japanese」

 はっきり答えた政孝の大きなワシ鼻と意志の強そうな目は、英国人の持つ日本人の印象とは違っていた。


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このページは、宝徳 健が2014年9月19日 03:49に書いたブログ記事です。

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