金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 この試みを續けてゐて、改めて現代仮名遣ひは、惡だといふことがわかります。歴史的仮名遣ひもさうですが、文語体の素晴らしさもあります。

 敗戰語の私たちは、日本語を捨て去つたのですね。それを進化とのたまう人たちがゐます。哀しい。悲しい。退化してゐるのに。

 では、つづきです。
 父と住職は、軍や完了が神社ばかりを大事にして寺を輕んじ、輕んじるばかりか壓迫することを憤慨し、これからの寺の經營はどういふ風にやつてゆくべきか、などといふ議論をした。

 住職は小肥りしてゐて、もちろん皺もあつたが、一つ一つの皺の中までが、きれいに洗ひ込まれてゐる。丸顔で、鼻だけが長くて、流れてきた樹脂が固まつたやうな形をしてゐる。顔がさういふ風なのに、剃り上げた頭の形はいかつく、精力が頭に集まつてゐるやうで、頭だけがひどく動物的なのである。

 父と住職の話題は、僧堂時代の思ひ出に移つた。私は庭の陸舟松を眺めてゐた。それは巨松の枝が低くわだかまつて、船の形をし、舳(みよし)のはうの枝だけが、こぞつて髙まつてゐるのである。閉園間近に團體の見物が來たらしく、塀ごしに金閣のはうからざわめきがひびいて來る。その足音も人聲も、春の暮れがたの空に吸はれて、音が尖つてきこえず。やはらかい圓みを帯びてきこえる。足音がまた潮のやうに遠ざかつてゆくのだ、いかにも地上を通り過ぎてゆく衆生の足音といふ風に思はれる。私は暮れ殘る光を凝らしてゐる近拡張上の鳳凰をじつと見上げた。

「この子をな、・・・」と父の言つてゐる聲をききつけて、私は父のはうへふりむいた。ほとんど暗くなつた室内では、私の將來が、父から道詮師に託されてゐるのだつた。
「わしも永いことないと思ふてますので、どうかその節はこの子をな」
道詮師はさすがにお座りなりな慰めなど言はなかつた。
「よろし、お引き受けします」

 私がおどろいたことは、その後の二人の愉しげな對話は、さまざまな名僧の死の逸話についてであつた。或る名僧は、「ああ、死にたうない」と言つて死に、ある名僧はゲーテそつくりに「もつとあかりを」と言つて死に、或る名僧は死ぬまで自分の寺の錢勘定をしてゐたさうである。

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このページは、宝徳 健が2014年9月19日 03:24に書いたブログ記事です。

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