凛として 六

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 政孝にネルトンはどう答へたのでせうか?
「実習をしたければ工場長に謝礼が必要です。二十ポンドほどあれば私が頼んであげてもいい。私の講義を受けたければ最初の月は二十ポンド現金でいただきたい」

 その料金が妥当なものかどうか分からなかったが当時、政孝の一カ月の生活費が二十ポンドから三十ポンドだった・

「留学生の私には高すぎます。払えません」

 政孝の言葉を聞くと、ネルトン家の扉は閉じられた。

 ここまできてあきらめて帰るわけにはいかなかった。幸い、スペイ川沿いには蒸留所が数多くある。政孝はスコットダンロ・グレート・ノース鉄道(現在は廃線)に乗り、南へ五キロほどの最初の駅、ロンゴモーンで降りた。目の前にロングモーン・グレベット蒸留所(現ロングモーン蒸留所)があった。 つづく

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このページは、宝徳 健が2014年9月21日 05:47に書いたブログ記事です。

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