金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 三島由紀夫のこの情景の描写は、現代の作家ではとうてい出せません。なぜか、國語が退化したからです。現代仮名遣ひの罪ですね。つづきです。
 私たちはトンネルを抜けてそこに達し、人夫たちが荼毘の仕度をするあひだ、トンネルの中で雨を避けた。

 海景は何も見えなかつた。波と、濡れてゐる黑い石と、雨だけがあつた。油をかけられた柩は、艶やかな木の肌をして、雨に叩かれてゐた。

 火がつけられた。配給の油が、住職の死のためにたつぷり用意されたので、火は却つて雨に逆らつて鞭打つやうな音を立てて募つた。晝間の焔が、おびただしい煙のなかに、透明な姿で、はつきり見えた。煙はふくよかに累(かさ)なりながら、少しずつ崖のはうへ吹き寄せられ、ある瞬間には、雨の只中に、焔だけが淡麗な形で立ち上つた。

 突然、物の裂ける怖しい音がした。柩の蓋が跳ね上つたのである。

 私はかたはらの母を見た。母は數珠に兩手でつかまつて立つてゐた。その顔はひどく硬く、掌の中へ入りさうなほど、ひどく凝固して小さく見えた。

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このページは、宝徳 健が2014年9月29日 13:23に書いたブログ記事です。

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