金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 昨日、SWDさんに聞いて初めて知つたのですが、三島由紀夫の葬儀に、出光佐三店主が弔辞をよまれたさうです。なんでも、三島由紀夫と佐三店主の対談が豫定されていて、それが叶わなかつたからだとか。良い話ですね~。

 三島由紀夫はネットで調べても、ボロクソに書かれてゐますね。まあ、今の日本人(我が國臣民とはあへて云ひませんが)では、それが限界でせうね。私たちはとんでもない嘘の敎育を受けてきたのですから。

 つづきです。
 父の遺言どほり、私は京都へ出て、金閣寺の徒弟になつた。そのとき住職に就いて得度したのである。學資は住職が出してくれ、その代わりに掃除をしたり、住職の身のまはりの世話をしたりする。在家のいはゆる書生と同じことである。

 寺に入つてすぐ氣がついたことだが、やかましい寮頭は兵隊にとられ、寺には老人とごく若い者としか殘つてゐなかつた。ここへ來て、いろんな點で私はほつとした。在家の中學のやうに、お寺の子だからと云つてからかはれることなく、ここにゐるのは同類ばかりだつたから。・・・私は吃りで、皆より少し醜い點だけがちがつてゐた。

 東舞鶴中學校を中退して、田山道詮和尚の口ききで、臨濟學院中學へ轉校することになつた私は、一ト月足らずしてはじまる秋學期から轉校先へ通ふことになつてゐた。しかし學校がはじまれば、いづれすぐどこぞの工場へ、勤勞動員されることはわかつたゐた。今、私の前には、新たな環境における、數週間の夏休みが殘つてゐた。喪中の夏休み、昭和十九年の戰爭末期に置かれたふしぎにしんとした夏休み・・・・・寺の徒弟生活は規則正しく送られたが、私にはそれが、最後の、絶對的な休暇だつたやうに思ひ出される。その蟬の音もつぶさにきこえる。

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このページは、宝徳 健が2014年9月30日 06:50に書いたブログ記事です。

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