凛として 十五

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 つづきです。
 日本最初のウイスキーは嘉永六(1853)年、アメリカのペリー総督がもたらしたとされる。明治四年、輸入が始まるが当時はまだ国産ウイスキーはつくられておらず、ウイスキーといえばアルコールを原料にした模造品だった。

 阿部は「日本で初めて本格的なウイスキーをつくりたい」と考えていた。年があけるとすぐ阿部は、政孝にスコットランド留学を提案する。夢を若い政孝に託したのだ。

 家業をついでくれるものと期待していた竹原の両親の落胆は大きかった。阿部は竹原にまで足運び両親を説得。政孝は、大正七年(1918)年六月、神戸港を出発した。

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このページは、宝徳 健が2014年10月 8日 05:04に書いたブログ記事です。

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