金閣寺(本當の日本語)

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 この人は、・・・。三島由紀夫は、・・・。なぜ、ただの金閣寺放火事件をこれほどの描写で書けるのだらうか??? 天才ですね。 そして、豊富な語彙。そして豊かな日本語・・・。敗戰後の私達が忘れるどころか捨て去つたものです。そして、進化していると思ひこんでゐる。

 つづきです。
 ・・・・・私は感情の諧和と幸福を感じた。とのとき見た金閣の情景を、私が永く忘れ得ないのはふしぎではない。私たち二人は、居眠りをしてゐる受付役の老人の前をとほりぬけ。人影のない道を塀ぞひにいそいで、金閣の前へ行つた。

 ・・・・・・私にはありありと思ひ出される。鏡湖池のほとりに、ゲートルを巻いた二人の白シャツの少年が肩を組んで立つてゐる。。その二人の前に、金閣が、何ものにも隔てられずに存在してゐたのだ。

 最後の夏、最後の夏休み、その最後の一日・・・私たちの若さは、目くるめくやうな突端に立つてゐた。金閣もまた、私たちと同じ突端に立つてゐて、對面し、對話した。空襲の期待が、こんなにも私たちと金閣を近づけた。

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このページは、宝徳 健が2014年10月27日 20:58に書いたブログ記事です。

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