凛として 二十六

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 さすがの鳥居信治郎も焦り始めました。政孝は・・・。
「まだ早い。理想のブレンドをつくるには最低五年は必要です」

 そう言いたかった政孝だが、会社の事情は理解できた。

 翌年四月、日本初の本格ウイスキー「サントリー白札」が發賣される。太陽をイメージした赤玉(サン)と鳥井(トリイ)からの命名。四円五十銭だった。

 しかし、「サントリー白札」は売れなかった。高価なうえ、燻したスコッチウイスキー独特の「スモーキーフレーバー」は「焦げ臭い」と不評だったのだ。

 鳥井から、日本人の好みにあった味にするよう求められたが、政孝はあくまでも、スコットランドと同じ製法の「本物」にこだわった。すでに十年の契約期間は過ぎていた。政孝は身を退く決意をする。

 昭和九年三月一日付で壽屋と退社した正孝は、まもなく四十歳を迎えようとしていた。迷っている時間はなかった。

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このページは、宝徳 健が2014年10月30日 07:54に書いたブログ記事です。

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