凛として 二十九

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 つづきです。
 自伝「ウイスキーと私」には、「ウイスキーをつくる仕事は、何年か先を目標にする気長な事業である。熟成するまでに、事業が持ちこたえられるかどうかに、成否がかかっつていた。まずはつくればすぐ売れるジュースを販売しながら、ウイスキーを育てることにした」と書いている。

「昔は二交代制で二十四時間働いていました。それでも、絞っても絞っても、工場中がリンゴの山でした」

 九年に入社した第一期社員、小山内祐三は話す。秋の収穫シーズンから絞り始め、雪が積もる季節になってもリンゴは減らない。雪の下から書き出しては、絞った。

「台風が来るなど天候が悪く、リンゴがたくさん落ちた。ジュース用なら傷があっても不ぞろいのときでも引き取ってもらえると、工場の前にリンゴを積んだ馬がずらりと並んでね。竹筒さんはすべて買い取っていました」

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このページは、宝徳 健が2014年11月 3日 02:56に書いたブログ記事です。

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