英霊たちの言霊

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 靖國神社 遊就館に行くと「いざさらば 我はみくにの 山桜」といふ本が賣つてゐます。あまりにも素晴らしいので紹介します。著作權違反に問はれても結構です。

 今回は、植村眞久命(我が國は、命を閉ぢたらみんな神になります。だから命がつきます。そして柱と數へられます。國を支へるから柱です)を紹介します。
 
 東京都出身 海軍第十三期飛行科予備學生 昭和十九年十月二十六日沒 満二十五歳 海軍大尉(海軍では「だいいい」と呼びます)。

 いろいろなドラマで、かなり良い内容なのに、戰爭のこととなると、惡のやうに表現することが常となつてゐる我が國です。英霊たちに失礼です。誰も戰爭などはしたくありません。當たり前です。愛する人を失ひたくない。當たり前です。

 しかし、あの不埒な歐米列強は容赦なく我が國を痛めつけました。國家の存亡がかかつてゐるほどに。そして英霊たちは立ち上りました。愛する人と國家のために。それの何が惡なのでせうか。英霊たちに失礼です。もし、今、英霊たちがNHK朝ドラを觀たら、愕然とするでせう。

 かつての我が國には、崇高な精神がありました。それを見つめませう。

 現代の私達に、二十五歳でこの手紙が書けるでせうか!!!
愛児に遺した手紙

 素子
 素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。
 私の腕の中で眠りもしたし又御風呂に一緒に入つた事もありました。
 素子が大きくなつて私のことが知りたいときは、お前のお母さんか佳世子叔母様に私のことを良く御聞きなさい。私の寫眞も御前の爲に家に殘して在ります。

 素子と言ふ名前は私が付けたのです。
 素直な心のやさしい思ひやりの深い人になる樣にと思つて、御父様が考へたのです。(略)

 私は御前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて。幸せになるまで、見届けたいのですが、若し御前に私を見知らぬままにしてしまつても決して悲しんではなりません。御前が大きくなつて父に会ひたいときは九段(靖國神社)へいらつしやい。そして心に深く念ずずれば必ず御父様の顔が御前の心に浮かびますよ。

 父は御前は幸せ者と思ひます。

 生まれながら父に生寫しだし、他の人々も素子ちやんを見ると眞久さんに会つて居る樣な氣がすると良く申された居た。又御前の御祖父樣御祖母樣は御前を唯一の希望にして御前を御可愛がり下さるし、姉様も又御自分の全生涯をかけてただただ素子の幸せをのみ念じて生き抜いてくださるのです。必ず私に萬一の事あるも親無児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて居ります。先に言つた如く素直な人に可愛がられるやさしい人になつて下さい。

 御前が大きくなつて私のことを考へ始めた時に、此の便りを讀んでもらひなさい。

昭和十九年〇月吉日

 植村素子へ

追伸 素子が生まれた時オモチヤにして居た人形は御父様が戴いて自分の飛行機に御守り樣として乘せて居ります。だから素子は御父様と一緒に居たわけです。素子が知らずに居ると困りますから敎へて上げます。
                                                       父
 素子殿 

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このページは、宝徳 健が2014年11月 4日 22:41に書いたブログ記事です。

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