金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 どうしてかういふ日本語の表現が使へるのだらう。私にはとうてい及びません。でも、いつか使へるやうになりたい。正しい日本語を・・・。
 明日こそは金閣が燒けるだらう。空間を充たしてゐたあの形態が失はれるだらう。・・・そのとき頂きの鳳凰は不死鳥のやうによみがへり飛び翔つだらう。そして形態に縛(いま)しめられてゐたきんかくは、身もかるがると碇を離れていたるところに現はれ、湖の上にも、暗い海の潮にも、微光を滴らして漂ひ出すだらう。・・・・・

 待てども待てども、京都は空襲に見舞はれなかつた。あくる年の三月九日に、東京の下町一帯が火に包まれたといふしらせをきても、災禍は遠く、京都の上には澄んだ早春の空だけがあった。

 私は絶望して待ちながら、この早春の空が、丁度きらめいてゐる硝子窓のやうに内部を見せないが、内部には火と破滅を隱してゐることを信じようとした。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5785

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年11月 4日 22:30に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「凛として 三十一」です。

次のブログ記事は「英霊たちの言霊」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。