凛として 四十二

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 つづきです
 歌子によると、竹鶴家では、九月から樽を洗い三百六十五本の大根を干し、必ず十一月いつかに漬け始めた。すぐ食べるものと夏まで持たせるものとでは塩加減もかえた。白菜漬けもイカの塩辛つくりもリタの仕事だった。

「塩辛はどんなに冷たくても母は毎日素手でかき混ぜていました。人間の温度が塩辛をおいしくするって言って」

 政孝の望んだ通り徹底的に日本食を勉強したリタは、漬物も塩辛も名人になっていた。

 リタは昼の弁当を十一時に作り始め、できたての温かいものを毎日、工場に届けた。政孝や威の帰宅時間にもうるさかった。

「リタおふくろは、予定よりちょっとでも遅くなると機嫌が悪くなってね。『ゆでたジャガイモも、粉をふく一番美味しい瞬間に出せるようにしているのだから』って怒るのですよ」

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このページは、宝徳 健が2014年11月26日 04:52に書いたブログ記事です。

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