凛として 六十一

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 つづきです。
 政孝は自分でもよく酒を飲んだ。体が衰えるまでは毎晩、ウイスキーのボトル一本を空けていたという。何を飲んでいたのだろう?

「高級なウイスキーを飲んでいると思われているようですが『一番売れているものを飲むんだ』と、いつもハイニッカでした」と威はいう。

 の味方にもこだわりがあった。「水で割るのが最も味と香りがわかる」と必ず、「ウイスキー1に水が2」の割合と決めていた。

 広島県竹原市にある政孝の生家、竹鶴酒造の社長で、政孝のいとこの息子にあたる竹鶴寿夫はいう。

「広島で一緒に寿司屋に行ったとき、政孝さんがいるのでニッカのウイスキーを出そうとしたら、『日本酒にしろ。食事に合った酒が一番いいんだ』と怒ったんですよ。その後、クラブに行ってウイスキーを飲みながらつまみを食べようとしたら今度は、『ウイスキーを飲むときは、何も食べるな!』とまた怒られました。

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このページは、宝徳 健が2015年1月 2日 06:32に書いたブログ記事です。

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