シンガポールの眞實(皇紀弐千六百七十五年三月二十五日)

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 昨日の新聞は、シンガポール リー・クワンユーが亡くなつた記事がたくさんありました。「シンガポール建國の父」として、褒め称えてゐました。
 
  死者に鞭打つ伍子胥になるつもりは毛頭ありませんが、眞實をひとつ。
 マレーシアがイギリスの植民地時代のことです。歐米諸國は、ある國を植民地にするときの常套手段を持つてゐます。その國の民族を叩き落とし、他國から連れてきた、またその國の少数民族を支配階級にします。言語をバラバラにします。王族の女性は自分のなぐさみものにします。絞れるだけ搾取します。

 マレーシアもさうでした。下級層に叩き落されたマレー民族は、肉体を酷使して働かされました。仕事が終わると待つてゐるのは、アヘンです。アヘンに払うお金で、マレー民族はいつまでも貧しいままです。

 イギリス人に代わつて、そのアヘンを取扱い、マレー民族を支配したのが、支那人です。支那人は、アヘンを使い、マレー人を操り、金を搾り上げました。

 さて、我が國が、亞細亞から、極惡 歐米人を追い出しました。マレーシアは獨立しました。

 當然、マレー人は、支那人に恨みがあります。マレーシアから支那人を叩きだしました。でも、優しマレー人は、「かはいさう(かはいさうではないですが)」とシンガポールの地を支那人にあげました。それがシンガポール建國の流れです。

 追い出されシンガポールに行つた支那人は、自分たちが、あの本國の支那人と同じにされたらたまりません。そして、このアヘンの罪を隱す必要があります。

 だから、およそ支那人では考へられないやうなことをやり始めます。公用語を英語にして、街をきれいにしました(支那人でもきれいにできるんですね)。そして華僑の力を借りて、經濟發展を遂げます。

 リー・クワンユーも支那人です。金儲けだけは上手です。經濟政策がうまくいきましたそれで「建国の父」などと呼ばれてゐます。マレー人は面白くない事でせう。。なんのことはありません。

 アウンサン・スー・チー同樣、メディアに騙されないやうにしませう。知る權利を一番侵してゐるのはメディアです。あのまあ、唯一どうにかまともな産經新聞でさへ昨日はさうでした。

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このページは、宝徳 健が2015年3月25日 04:19に書いたブログ記事です。

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