殘業手當をもらふと勞働者になつてしまふ(皇紀弍千六百七十五年四月二十日)

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 長時間働いて何が惡ひのでせう? 殘業手當が不要な職種が議論されてゐますが、ほとんどの論者たちは「殘業手當があるのは當たり前」といふ發想で議論してゐます。おかしなことです。労働者派遣法改正もさうです。こんなもの國に議論させる問題でもなにもありません。派遣が守られていないと「勞働者」
が騒ぐなら、派遣なんかになるなよ! えっ? 職がないつて? いくらでもあります。選り好みしなければ。最近は、努力もせずに能力が低い者ほど「自分に合つた仕事」と云ひます。かういふのを身の程知らずといひます。

 要は志事に對する本人の捉へ方ひとつです。

 敗戰後、米國は、我が國を永遠に弱體化させやうとしました。
 もつとも進んだ我が國に「民主主義を導入する」などとほざき、その實、社会主義政策を入れました。天下の惡法 勞働法規ができました。

 繰り返し述べます。もともと我が國には、權利・義務の發想はありませんでした。大日本帝國憲法をみてください。「主權」といふ言葉さへありません。

 そんな概念など必要がないくらい、我が國は、素晴らしい國でした。

 たつた一度の敗戰で、「歴史」「人」などを考へたこともない、あの不埒な國家アメリカ(我が國の敗戰時には、GHQにもアメリカ本國にも、ソ連のモスクワコミンテルンのスパイが、うじゃうじゃ入り込んでいました)にこんなにガタガタにされてしまひました。まあ、責任は、それを無意識に受け入れてしまつた臣民にあるのですが。

 「勞働者」・・・・。「共産主義」と一緒で、いや~~~~な、雰囲気がする言葉ではありませんか?

 私は「勞働者」などといはれたら、卒倒してしまひさうです。

 だいたい、殘業手當などもらつたら、勞働者になつてしまひます。「志事」が「勞働」になります。「自分の志事」が「会社の仕事、いや、勞働」になります。

 こんな考へ方で、よい仕事ができるはずがありません。

 かつての出光興産には、「勞働」「殘業」といふ概念が全くありませんでした。それが誇りでした。今は、あるやうです。悲しいことです。出光佐三店主が、天國で泣いてゐることでせう。「ああ、私が創造した世界唯一の會社に、『勞働者』がいる」と。

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このページは、宝徳 健が2015年4月20日 05:01に書いたブログ記事です。

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