つらいのはどちらか(皇紀弍千六百七十五年六月十五日)

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 先日、書類を整理していたら髙校時代のノートが出てきました。まあ、このブログのやうな内容が書かれてゐます。そこには、毎日毎日こんな詩が書いてありました。
この一球は絶対無二の一球なり
されば身心を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛へ
精神力を養ふべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心といふ


 早稻田大學のOBである福田雅之助先生が學生たちに送つた詩です。當時、テニスをしてゐる人間なら誰でも知つてゐる言葉でした。

 私たちの髙校は、公立髙校でした。縣下には、當時インターハイで十三連覇をしてゐた柳川商業髙校がありました。それでも、私たちの目標はインターハイ出場。でも、私たちには、形だけの部長がゐるだけで、監督もコーチもゐませんでした。これは、精神的にも技術的にも未熟な髙校生にとつては致命的です。予算など、毎年一回戰で敗退する弱體野球部より少ない金額でした。
 
 ウェアは、先輩のおさがりでカビだらけ。靴は、千數百円のスゥイングベア。ガットは、ナイロン。新品のボールなど、1週間で4個しかおろせませんでした。新品のウェアを着て、コンバースのシューズを履いて、シープのガットを張って、箱いつぱいのニューボールを何箱も使つてゐる柳川商業とはテニスをする環境が雲泥の差でした。

 そんな環境下で、みんな髙校から硬式テニスを覺へた人間ばかりです。つまり、指導者もいない素人がたつた二年で全國大會に出ようといふのですから、無謀です。

 それでも若かつたのですね~。思考に制限がありません。「自分たちはインターハイに行くんだ」と毎日毎日思ひ續け、そして、先ほどの福田先生の詩を毎日ノートに書いて、聲に出して讀んでから、コートに入りました。

 ただがむしゃらに、苦しい練習をするしかありません。今より、數十倍眞險に生きてゐました。悔しいなあ。このノートを見つけて、過去の自分に嫉妬してゐます。

 どんな苦しい練習でも耐へることができました。吐くほどでした。どんなに練習で苦しくても、それは、試合で負けるよりましです。選手にとつて、一番苦しいのは、試合で負けたときです。練習で苦しいときではありません。指導者もいないのに、そんなことに氣づいてゐたのですね。

 志事もさふです。かつての出光興産において、先輩が後輩に行う志事の指導は、それは厳しいものがありました。故佐三店主も、「時には鐵擧制裁も必要である」と仰つてゐました。でも、どんなに指導が厳しくても志事がうまくいかないことの方がつらいのです。

 眞に愛情があるのなら、そして敎へる側にそれにふさはしい實力と精神力があるのなら、指導者は、指導される人間に眞の喜びを敎へるために、「つらいのはどちらか」を徹底的に傅へる必要があります。

 だけど、今の世の中は、それを「パワハラ」と呼んで、どんどん人間を弱くしてゐます。これでいいいのかなあ。

 それにしてもくやしい。髙校生のときの自分に敗けてゐるなんて。

 神樣のプレゼントですね。活かさないと。

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このページは、宝徳 健が2015年6月15日 06:35に書いたブログ記事です。

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