真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える

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  タイトルは、私が以前勤務していた出光興産㈱の創業者 故出光 佐三翁の言葉です。今もそうなのかは知りませんが、佐三翁は、これを「出光興産㈱の第二の定款」と呼んでいました。
 この理念の下、出光興産は、かつて、すさまじい成功の道を歩んできました。
 私はこの言葉が大好きでした。また、今でも大好きです。口幅ったいですが、今の出光興産にいるどの方よりも、佐三翁の理念を理解していると自負しています。
 いつか、こんなことが言える経営者になりたいなぁといつも思っています。まだ、万分の一も近づけていませんが。今でも、行き詰ると、佐三翁の書物を読み漁ります。
  佐三翁は、会社の業績が悪くなると、喜びます「人が育つ」。会社の業績がよくなると心配します「人が育たない」。立派な日本人になれば、会社の利益はおのずとあがるという確固たる信念です。月末の預金残高に一喜一憂している私など、とてもとても。

 今、石油業界はいろいろな環境変化を味わっています。今までにない経験をしているわけですから、当然苦しい。その時に、原油値上がり、セルフSSの進出等々、自分以外の第三者の責任にしがちです。

 今、佐三翁がご存命でいらっしゃったら、必ず、おっしゃるでしょう。「いい時代になったな。人が育つ」と。

 以前も書きましたが、出光興産は、戦前、日本石油(今の新日本石油:エネオス)の特約販売店でした。後発であった出光は、国内での販売基盤確立に 制約を受けたため、大陸に事業拡大を求めました。結果として、敗戦により、海外資産をすべて失い、莫大な借金だけが残りました。 各マスコミ等はこぞっ て、「出光佐三は自殺するだろう」と考えました。社内の役員も海外から引き上げてくる社員の首を切る(リストラ)提案を佐三翁にします。その時、佐三翁は 「企業の最大の資産である人をなぜ首にするのか」と言って、一人も会社側からの馘首は行いませんでした。そして、引き上げてきた社員に言いました。

〇愚痴を言うな
〇今から建設にとりかかる
〇日本の二千年の歴史を見直せ

 戦後の出光は、誰にも成し遂げられない偉業を達成していきます。イラン原油輸入の日章丸事件では、イギリスのアングロイラニアンと裁判になり勝利 します。敗戦で打ちひしがれていた日本人に大きな夢を与えました。佐三翁の言葉は「我、俯仰天地に愧じず(われふぎょうてんちにはじず):何ひとつとして やましいことはない」

 徳山製油所建設の折には、通常3~4年かかるところを10ヶ月で完成します。

 私たちの育った時代は、裕福な時代でした。ですから、私達は、このような力を自らが勝ち得ずに育ってきました。

 最近、少し精神的にサボり気味な自分に活をいれるために、今回のブログを書きました。

 いつになったら、本物の経営者、ほんものの人間になれるんだろうか。前を向くしかありませんね。

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このページは、宝徳 健が2006年5月10日 20:01に書いたブログ記事です。

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