教育勅語解説

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  全文は、以前に掲載しているので、お読みください。今日は二回目の解説。全文の中の「我ガ臣民、克(よ)ク忠二克ク孝二」の解説です。
 ある人から、なぜ教育勅語というものを掲載するのかを聞かれました。勉強をせずに言うとそうなりますが、教育勅語を読めば読むほど、今の日本に何が必要かがわかってきます。私のような若輩が、どこまで解説できるかわかりませんが、やってみます。
 日本という国がどうなりたっているかを、短い文で分かりやすく明治天皇が語ってくださっています。この国は、世界に類をみない文化の国です。外国のある学者などは、世界には八大文明というものがあり、日本の文明はそのひとつだと言っています。中国の文明とははっきりと切り離しています。こんな小さな国で、私たちの祖先が、一生懸命築いてくれたことを、今の私たちはだいなしにしています。一億総懺悔、マゾの国。自分の国を悪く言えば格好いいみないな風潮がマスコミにもあります。
 その、小さな、すばらしい国日本を成り立たせる根本てきなあり方が、教育勅語に表現されています。今、まさに、私たち国民が勉強するものです。

 堅い話ばかりではいけないので、今回は、末尾にちょっと面白い話も載せています。

  前回、国を肇むること宏遠なることを申し上げました。つまり、国民は、万世一系の天皇を奉戴し、歴代の天皇は、至高の愛を国民に注ぐことで、この国の国体がなりたっています。今の皇室もその思いは変わりませんが、今の国民がこのことについて勉強不足です。
 何度も申し上げますが、これが、日本をずーっと成り立たせていた国体なのです。それが、GHQが行った、「戦争犯罪プログラム」により、戦前の日本は全部だめだったという思想を植えつけられ、それを、共産主義の総本山「モスクワコミンテルン」が利用し、日本に謀略的に思想をしみこませました。私たちは、そのおかげで、本来の国のあり方を忘れ、自国を非難しなければならないマゾの国になってしまいました。

 忠とは、天皇を中心とした、日本の基本的な道徳観です。理屈ではありません。万世一系の天皇家があったればこそ、諸外国のように他の権力闘争が起きずに、国が成り立ってきました。もちろんいくつかの危機はありましたが、そのたびに、この忠の心が、国を守ってきました。

 孝とは、至誠を以って、子の親に仕える道徳的感情を言います。今の教育はどうでしょうか?
 
 また、日本では、国体上、忠孝一致といわれています。すなわち、親に孝を尽くすは、天子に忠を尽くすと同じことである。君に忠たるは、親に孝たり。二にして一(いつ)なり。と言います。

 まあ、堅い話しばかりでもなんですから、孝について、面白い話をひとつ。私が、今、とっても大好きな岐阜県の話です。

 美濃の国に養老の滝(岐阜県養老郡)があります。昔々、とっても孝行な樵(きこり)の息子がいました。でも、家は、極貧でした。たきぎを売って自給自足の生活です。そんななかでも、お父さんはお酒がとても大好きでした。息子は、いつも、お酒を入れる瓢箪を下げて、仕事に行き、町に出てはお酒をお父さんのために買って帰りました。

 貧しくて、自分の物を買えないのに、お父さんにはお酒を買って帰っていた息子です。その息子が、ある日、山に入って仕事をしていたら、足を踏み外して倒れてしまいました。すると、お酒のにおいがどこからともな・・・・・。そうです、石の間から、お酒に似た飲み物があふれているではありませんか。息子は、これを喜び、毎日お父さんに汲んで帰りました。
 この話には後日談があります。第四十四代元正天皇が、美濃に幸しあそばしました。そこから湧き出る水がとても、身体にいいとうことでした。そこで、孝行息子の逸話をもとにして、養老の滝と名づけました。

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このページは、宝徳 健が2007年3月20日 04:22に書いたブログ記事です。

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