福岡高校テニス部日誌

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このシリーズは右側のカテゴリー「ひとりごと 宝徳 健」に格納しています。

 実に久し振りの連載です。掃除をしていたら出てきた高校時代のテニス部の日誌を書いています。

 今回は、浅っちんこと、浅川君です。今、春に行われている全国高校選抜硬式テニス大会が、昭和52年3月に、第一回西日本選抜として開催されました。私たちは、その時の第一回出場校です。ベストエイトまで行きました。これは、完全に私のミスで、本来なら決勝まで行っていました。今、思い出してもくやしい。準々決勝で、第一シングルスの私は、ワンセットを簡単にとって、油断して負けてしまいました。第二シングルス、ダブルスの選手がリズムを崩して、負けて、ベストエイト。第一シングルスとは、それほど、責任が思いのです。負け方にしても、次につなげる負け方が必要です。

 三日続けて書きます。

昭和52年3月21日  浅っちん

 うわ~、これを書いている今は、3月27日ですがな!!ずーっと忘れとった。やばい!え~、今日は、・・・じゃない、3月21日はなんがあったとかいな。お~、そーじゃった。西日本選抜の2日目やった。おしくも枕崎に負けてもうた。ぐやじぃ~。どっかの先生が枕崎の先公にいいよった。「おたくも実力通り勝ち進んでおりますなあ!」と。うるへ~、実力は福岡高校のほうが上じゃ。ほんまにも~、ぐらぐらするわい!!
 最後にバイト料 2200円ナリを頂きました。おしま~い。

昭和52年3月22日  浅川 浩
 西日本選抜雨のため、一日延期とか!? オレ同窓会やったけん知ら~ん。

昭和52年3月23日  浅川浩
 西日本選抜さいしゅうび。PM1:00から練習の予定が3:00ごろから自由練習でした。明日は、毎日少年少女がんばんべえ。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/17

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2009年10月 7日 00:34に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「和歌」です。

次のブログ記事は「名目と実質(10月6日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。