戦国策

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 中国古代の戦国時代は、悲惨な時代かというとそうでもありません。むしろ、文化が大きく花開きます。この前、妹からメールが来ました。「お兄ちゃん、中国ちゅうのは、論語やらいろんないい考え方や文化があるけど、なして、今、こげなアホみたいな国になったと」(博多弁)。

 本当にそうですね。笑ってしまいます。中国古代で花開いた「人間としてのあり方」を最も実践されているのが、日本の天皇陛下です。でも、日本の皇室が絶対に受け入れなかった、中国の制度があります。二つあったのですが・・・。えっと、ひとつど忘れしました。もうひとつは、「宦官制度」です。日本の皇室のすごさがうかがえますね。それと、日本だけです。奴隷制度のなかった国は。これも皇室を中心とした国体のなせるわざです。

 さて、昨日は、予譲が趙襄子を暗殺するために、顔は潰すわ、喉は潰すわして、橋の下に隠れたところまででしたね。

 でも、趙襄子が橋にさしかかると、馬が予譲の気配を感じて、驚いていなないてしまったのです。あ~あ~。

予譲は見つけ出されて、趙襄子のところに連れて行かれました。趙襄子は、予譲を責めました。

趙「お前はかつて范氏(はんし)、中行氏に仕えたではないか。それを滅ぼしたのは知伯だ。おまえは、その仇を報いるどころか、誓いを立てて知伯に仕えた。知伯が滅んだときだけ、どうして仇を報いようとするのだ」

予譲は答えます。

予「范氏(はんし)、中行氏に仕えたことは仕えたが、待遇は十人並みだった。だから、十人並みに報いたまでだ。だた、知伯は、国士として遇してくれた。だから私も国士として報いるのだ」

趙「ああ、予譲よ。もはや知伯に対する申し訳は十分たった。私も許せるだけは許した。覚悟してくれ。これ以上は許せん」

予「明君は人の義を妨げぬ。忠臣は名のために死す、という。あなたは一度私を許した。天下の人々はこぞってあなたを称えている。いまは、私も喜んで死のう。ただその前に、あなたの衣服を頂戴して、それを斬りたい。さすれば、殺されても心残りはない。ぜひにとは申さぬ。思いのたけを言ってみるまでだ」

 趙襄子は心意気にうたれ、供の者に命じて衣服を取り出し予譲に与えました。予譲は剣を抜くと、気合もろとも跳び上がり、三度それを斬りました。

予「これで知伯に報いることができた」

 予譲はわが身に剣を突き刺して死にました。趙の国の心ある人々は、この話を聞いて、みな涙を流しました。

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このページは、宝徳 健が2009年12月 5日 00:26に書いたブログ記事です。

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