キヒサカミタカヒコ

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 ふ~、頭使いすぎたから、少しブログを書きながら休憩です。クライアントの皆さんの資料をまとめながらDD(デューデリジェンス)をやっていますが、やればやるほど、凝ってしまって、スケジュール通り進みません。でも、これ絶対に必要なのでやりあげます。早くやらないと。

 さて、出雲国風土記からです。日本の神話ってすばらしいですね。子供に話すと絶対に知的好奇心が成長します。子供のころから学校の勉強ばっかりやるなんて、もったいない。
「お父さん、僕たちが住んでいる、斐川町荒神谷(こうじんだに)というところから、昭和五十九年に三百五十八本の銅剣が出土したんだって」
「そうだよよく知っているね」
「うん、学校では習わなかったけど、本を読んでいたら出てきた」
「最近の学校では、地元の歴史や神話を教えないからね。自分でよく勉強したね」
「でも、荒神谷なんて、あんな、何のへんてつもない、裏山のようなところからだよ。銅剣だけでなく、銅鐸(どうたく)六個、銅矛(どうほこ)十六本が埋まっていたんだよ。なんであんなところに?」
「はっはっは、そうだね。荒神谷から何が見える?」
「仏教山(ぶっきょうざん)」
「おー、よく知っているね。今の斐川町神氷だね。では、この山の神様は?」
「知らない。曽伎乃夜(そきのや)神社があるのは知っているけれど」
「そうそう、その神社の神様は、キヒサカミタカヒコって言うんだ。古事記に詳しく載っているよ。話してあげようか」
「うん、話して!」

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「のう、ホムチワケは、まだ口が利かぬか?」
垂仁天皇(すいにんてんのう)は、臣下に尋ねました。

「まだでございます」

「ふ~」

 垂仁天皇はため息をつきながら思い起こしました。息子のホムチワケは、生れてすぐにあることが原因で、母親が焼け死んでしまいました。火の中で生れた御子ということで、ホムチワケといいました。「火の中の高貴な人」という意味です。

 垂仁天皇はホムチワケをとてもかわいがりました。でも、この御子は、大きくなっても口をききません。一度だけ、白鳥が鳴き渡ったときに、口を開きました。垂仁天皇は、臣下の者に、この白鳥を追いかけさせ、捕えてホムチワケに見せましたがだめでした。

 ある日の夜、垂仁天皇は夢を見ました。夢の中に神が出てきました。そして、告げました。

「わたしは、出雲の神じゃ。私の社を天皇の御殿のようにつくるのであるなら、その子はきっと、ものを言うようになるじゃろう」

 垂仁天皇は、お供をつけて、この御子を出雲の国へつかわし、出雲の神に参拝させました。ホムチワケが黙って出雲大社を拝んで帰る途中、斐伊川のほとり、仏教山のふもとにたどりつきました。そこには、出雲の国の神様、キヒサカミタカヒコが青葉で飾った山の形をした祭壇をつくって、待っていました。

 キヒサカミタカヒコが御子にご馳走を差し上げると、なんと、御子がものを言われました。

「この青葉の山はほんものではないね。もしかしたら、オオクニヌシをお祭りする祭壇なのかね?」

 お供の人間は、もう、びっくりです。そして、大喜びで、垂仁天皇に伝えました。垂仁天皇は、約束通り、出雲大社を天皇の御殿のように立派にしました。

 キヒサカミタカサコは、人の心を解きほぐす力を持ち、病を治す方法を知る徳の高い神様だったのです。

******************************

「なるほど~、キヒサカミタカヒコはそんなに偉い神様だったのか~」
「そうだよ。仏教山に登ってみると、斐伊川を眼下に見下ろし、その向こうに出雲大社、日本海、東は簸川平野、島根半島の東端まで見晴らすことができる。政治にはとっても大切な場所だったんだろうね。荒神谷も、神様を祭るのに最適な場所で、銅剣や銅鐸銅矛も祭りで使われたんだろう」

「へ~。でも、何で大和朝廷は、出雲の神様をそこまで大切にするの?」
「詳しいことは、古事記をお読み。ただ、ひとつだけ覚えておいてほしい。日本の天皇家は、地域の豪族を従えて日本を統一したんだけど、それは決して外国の王のように、殺して征服して、奴隷にしたのではないということなんだ。みんなで輪を作ったということなんだ。だから、日本は先進国では唯一奴隷制度の歴史がない国なんだ。だから、出雲の神もとても大切にするよということでこんな神話ができているんだ」

「わかった。日本の国もすばらしいし、僕たちが住んでいる出雲もすばらしいね。僕は誇りに思うよ。お父さん、ありがとう」
「うん、正しいことを学ぶ人間になっておくれ」

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このページは、宝徳 健が2011年5月26日 17:40に書いたブログ記事です。

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