未来日本昔話(南京大虐殺の嘘その13)

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 昨日の続きです。
ま「おばあちゃん、おはよう」
お「おはよう、まさる。ゆっくり眠られたかい?」
ま「うん」
お「じゃあ、昨日の約束通り、喫茶店にモーニングを食べにいこうかねえ。名古屋出身の人がやっている喫茶店があってさ、モーニングがすごくいいんだよ」
ま「へー」

(喫茶店に到着)

ま「おばあちゃん! すごいね。 Aセット、トースト&サラダ&ハムエッグ&バナナ&コーヒー300円、Bセット、Aセットのトーストがホットサンドになって350円。Cセットが、おにぎり、味噌汁、ハムエッグ、サラダ、バナナで400円。全部食べても1050円だよ。」
お「すごいだろう。好きなものをお食べ」
ま「おばあちゃんは何を食べるの?」
お「Aセットかねえ」
ま「・・・・・」
お「(笑)、ふたつ食べてもいいんだよ。」
ま「やったー、じゃあ、僕、BセットとCセット」
お「はいはい(笑)」

ま「おばあちゃん、昨日の夜に行った、二人の少尉が100人斬りをしていない、物理的な証拠が
4つあるんだ」
お「おしえておくれ」

ま「ひとつは、両少尉の役職なんだ。野田少尉は冨山大隊の大隊副官をしていただんだ。大隊副官というのは、常に大隊長の側にいて、その任務の補佐をする。 向井少尉は、冨山大隊の歩兵砲小隊長だったんだ。歩兵砲小体調は、後方で双眼鏡を手にして、命令を下す立場の人間なんだ」
お「二人とも、前線に出て支那兵と至近距離で斬り合ったり、撃ち合ったりはできない立場なんだね」

ま「そうなんだ。二つ目は、冨山大隊の行動範囲だよ。浅海一男の記事によると、百人斬りの舞台は紫金山になっている。でも、実際、冨山大隊は南京に入っておらず紫金山付近で行動したことはなかったんだ」
お「そうだね。浅海一男はひどい男だね」

ま「ほんとうにひどり。まあ、メディアなんてそんなものだけどね。日本をつぶした直接的な原因はメディアが不勉強で不埒だったことも大きい。三つ目は、向井少尉の行動期間なんだ。百人斬りをしたとされる期間は昭和12年11月27日から12月10日までなんだけど、向井少尉は、12月2日に左膝と右手に銃弾を浴びて負傷し、救護班に収容されているんだ。傷がいえて帰ってきたのが、12月15日。浅海一男の記事によると向井少尉は12月12日に紫金山で支那兵を鉄兜もろともに、唐竹割りにしたとあるけれど、入院中の向井少尉にそんなことはできない」
お「うんうん」

ま「四つ目は、日本刀の性能の問題」
お「そうだね。一本の日本刀では、物理的に百人を斬ることはできないからね。こんなの常識だわ」

ま「ふー。まったく、アメリカやソ連や支那が日本人を陥れようとして、悲しいかな、日本人にその協力者が出てしまった。国民も不埒なマスコミに踊らされ信じてしまって、嘘を本当と信じてしまった。自分ではきちんと勉強をせずに。これでは、日本の国がつぶれるのも当たり前だね」
お「悲しいことだね。戦後60年以上ずっとその状態が続いたんだ」

ま「おばあちゃん、今日、部活休みなんだ。またおじいちゃんの書斎で勉強してもいい?」
お「いいともさ。正しい歴史を知って、日本を再興しておくれ。歴史を知ることが正しい国民となる唯一の手段さ。そろそろ秋だね。岐阜の友人から送ってきた、栗きんとんをおやつに持っていってあげるね」
ま「わーい」

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このページは、宝徳 健が2011年10月 2日 07:34に書いたブログ記事です。

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