未来日本昔話(南京大虐殺の嘘 その15)

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 南京大虐殺・百人斬りにおいて、国を、そして、同朋を売った、許せない国賊がいます。朝日新聞、毎日新聞、本田勝一、浅海一男です。支那のスパイとしか思えません。

 そして、こんなことをメディアに騙されて信じてしまった国民がたくさんいたので、日本はつぶれてしまったと仮定しています。時は西暦2111年。まさるくんは、11冊です。
お「まさるや、晩御飯ができたよ」
ま「うん、ありがとう。だいぶわかってきた」
お「そうかい、じゃあ、晩御飯が終わったら教えておくれ」
ま「うん」

(晩御飯終わり)

ま「あー、おいしかった。おばあちゃんのご飯はいつもおいしいや。ごちそう様」
お「そうやって言ってもらえると、作り甲斐があるねえ。いつも一人だからつまらなくて」
ま「じゃあ、時々僕が泊りに来るね」
お「うれしいねえ」

ま「じゃあ、はじめるね。まずは、浅海一男。創作記事を書くことは当時はよくあったことだから、これは百歩譲って許するとするね。問題なのは、自分の書いた創作記事が元で、人が殺されるという時に、浅海一男は逃げ出してしまったんだ」
お「されに浅海一男のその不道徳、無責任な態度は、両少尉が殺されても変わらず、戦後もずっと死ぬまで変わらなかったね」
ま「浅海一男には、罪悪感というものはなかったかなあ? 僕だったら良心の呵責に夜は眠れなくなると思う」

お「それが普通の人間だね。でも、なんと、両少尉が殺された後の浅海一男の人生は、まるでバラ色だったんだ」
ま「そう、毎日新聞の記者として出世街道を突き進み、毎日新聞を代表する大記者にまで昇りつめた」

お「そして『新中国は全世界の圧迫された民族の解放を目指している』など、浅海一男は支那礼賛の記事を書きまくり、支那から喜ばれたんだよ」
ま「支那は、こう言った。『浅海記者は我が国に対する反動新聞社の中で、民主化に努める英雄的記者だ』とね」

お「支那の工作員以上の活躍だね」
ま「さらに定年退職後、日支友好推進はとして毛沢東や、あのおよそ人間の所業とは思えない文化大革命を礼賛した数冊の本を書いたんだ」
お「そして、毎日新聞社から、『日中の懸け橋』と輔呼ばれて、終身名誉社員の待遇を受けた」

ま「ほんの少しでも、恥を知っていれば、記者なんか続けられないよね。もっと、すごい事実は、浅海一男と同行していたカメラマンが、『あれはホラだ』と明言しているんだ」
お「ひどいもんだね。じゃあ、次回は、その浅海一男を守り通した毎日新聞にことについて話そうね」

ま「うん、今日は帰らないと。おばあちゃん、ありがとう。とても楽しい。正しいことを知ることって国を創ることなんだね。あの当時の国民は、メディアに騙されて、そこから目をそらしたから国がつぶれたんだね。僕が絶対に日本を再興する。」
お「頼もしいねえ。おばあちゃん、もっともっと長生きして、まさるが日本を再興するのを見るね。そうだ、岐阜のプルシックっていう、とてもおいしいプリンとロールケーキがあるから持っておかえり」
ま「わーい。ありがとう」

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このページは、宝徳 健が2011年10月12日 09:20に書いたブログ記事です。

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