和歌

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 正岡子規の「歌よみに与ふる書」の第二章「再び歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。
「古今集以後にては新古今集はややすぐれている。古今集よりも善い歌を見かける。しかし、その善き歌をいうのも指折り数えるほどしかない。藤原定家という人は、上手か下手か訳が分からない人である。新古今の選定を見れば少しはわかっているのかと思えば、自分の歌にはろくなものがない。「駒とめて袖うちはらふ」「見わたせば花も紅葉も」などが人にもてはやされる位のものである。定家を狩野派の画家と比較すれば探幽と善く似ている。定家に傑作なく探幽にも傑作なし。しかし定家も探幽も相当の練磨の力はあって、いかなる場合にもかなり上手にやりこなしている。両人の名誉はよく似ていて、定家以後歌の門閥を生じ、探幽以後画の門閥が出来てしまった。両人とも門閥を作ったあとは、歌も画も全く腐敗してしまった。いつの代、いかなる技芸も歌の格、画の格などというような格が決まったら、もはや進歩は止まってしまう」つづく

 では、拙首です。

生きること 苦しいことと 知りながら わが身に及びて 初めてわかる

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このページは、宝徳 健が2012年1月 9日 06:15に書いたブログ記事です。

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