おおいちょう

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 私の母校の中庭に、大きな銀杏の木があります。
 みんな、その銀杏の木の事を「おおいちょう」と呼びます。

 大学一年生の時のことです。いろいろな地方から学生が集まっています。もちろん私のような九州の田舎者も。

 仲の良い友達が数人集まって、数日後に遊びに行く約束をしました。集合場所は「おおいちょう」となりました。仲間の中の田舎者の一人が、「おおいちょう」を大井町と勘違いしました。大井町は「おおいまち」です。京浜東北線の品川の一つ先の駅の名前です。田舎者なので、大井町を「おおいちょう」と思い込んでいました。結局そいつは、大井町駅で待っていて、一緒に遊びに行けませんでした。

 こんなこともありました。これもみんなで集まった時のことです。TJが「〇月〇日、飲みに行くぜ。みんな、渋谷の忠犬ハチ公で待ち合わせや」と言いました。みんな同意しましたが、TJは、すぐに約束を忘れる人間なので、本当に実現しようとしたら、前の日にきちんと確認しなければなりません。その時集まった人間は、一人を除きそれを全員知っていました。だから心のなかで「これは、実現しないな」と考えました。

 結局、一人を除いて、ハチ公には行きませんでした。つまり、一人だけ、ハチ公に行った人間がいたのです。そして、私の家に、公衆電話から電話をかけてきました。「宝徳、今日、みんなで飲みに行く日じゃなかったっけ?」。「なんば、いいよるとや(笑)。TJば言うたこと、信じとったと?」。

 こんな思い出は、今、絶対にできませんね。携帯電話があるから。携帯電話って、本当に必要なのだろうか?

 拙首です。

デジタルの 便利な世界と 引き換えに われら失う 本当の世界

 今日から、正岡子規と交代に、萬葉集を観ていきます。
 「萬葉集」は二十巻あります。二十本の巻物だったのです。一巻の長さは短いものでも、八メートルあったそうです。長い巻は、二十メートルに達するものもあったそうです。こういう巻物は、巻子本(かんすぼん)と言います。

 現代の私たちから見れば、この巻子本は、はななだ不便です。特に、デジタルに慣れた人は疑問に思うでしょう。なぜなら、巻尾を観ようと思ったら、一度すべて繰り広げなければならないからです。では、なぜ、巻子本というものがあったのでしょうか? 次回書きます。

  では、歌等も少しずつ紹介します。萬葉集巻第一の最初に雄略天皇の雑歌(ぞうか)が載っています。

籠(こ)もよ み籠(こ)持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡を 菜摘ます児 家聞かな 名告(なの)らさぬ そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも

「籠(かご)も 良い籠を持ち ふくしも よいふくしを持ち この岡で 菜をお摘みの娘さんよ 家を聞きたい 名のっておくれ(そらみつ) この大和は ことごとく わたしがすべている国だ すみずみまで 私が治めている 国だ わたしこそ 告げよう 家も名前も」

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このページは、宝徳 健が2012年4月30日 08:02に書いたブログ記事です。

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