再 葛城路6

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 2011年9月14日掲載分です。あれっ?78歳から余生を過ごすって書いていますね(汗)。訂正です。今は、百歳まで仕事をする気になっています。
葛城古道の続きです。

 ちょっとショックです。私は、日本のことならよく知っているつもりでした。思い込みはダメですね。こんなに素晴らしい土地を知らなかったなんて。今すぐにでも飛んで行きたい。

 元来が怠け者の私です。食べ歩きや旅行が大好きです。鈍行列車の中で本を読みながら、歴史深い土地に向かい、そこを散策する。人知れず、たたずんでいるおいしいお店に入る。古代、そこで歴史を作った人たちのことをイメージしならが浸る・・・。

 あ~、そんな生活したらもう最高に幸せでしょうね~。

 こういう生活が余生の78歳から108歳でできるように、しっかり働くことを、健康を守ること!

 さて、今日は、神宮の芝です。なんとまあ、素敵な・・・。

 昨日紹介した、一言主神社の200mぐらい北にあるそうです。高丘宮のことです。古事記に神沼河耳命(綏靖天皇)、高丘宮に坐しまして、天の下、知らしめしきとあります。

 綏靖天皇は神武天皇の第3子で第2代天皇です。 神武天皇の没後長兄の手研耳尊(たぎしみみのみこと)を討って即位しました。葛城高丘宮に皇居を定め、母の妹である五十鈴依媛を皇后とします。古代は、実の兄弟婚は、絶対に認められませんでした。でも、いとことか伯母さんとの結婚は古事記によく見られます。 そして、ここが高宮の芝と呼ばれるところです。

 

 

 

 

 

 

 

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 行きたい!行きたい!行きたい! 葛城古道に行きたい!

 では、拙首です。

 しきしまの 古き歩みに ふれるとき まだ行かずとも 心がそこに



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このページは、宝徳 健が2013年6月16日 21:55に書いたブログ記事です。

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