金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 有爲子と戀人の海軍兵はどうなるのでせうか?

 本當の日本語とは、素晴らしく奥深いことが、金閣寺を讀んでゐてわかります。現代人は未熟ですね。
 ―憲兵をはじめ、みんなが我がちに石段を駆け上り、二人の屍のはうへいそぐのをよそに、私は紅葉のかげに、じつと身をひそめてゐたままである。白い木組みは縦横に重なつて、私の頭上にそびえてゐた。その上からは板敷の渡殿を踏みちらす靴音が、ごく輕やかな音になつて舞ひ落ちてきた。二三の懐中電灯の光の入り亂れるのも、欄をこえて紅葉の梢にまで届いた。

 私にはすべてが遠い事件だとしか思へなかつた。鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血が流れたときは、悲劇が終わつてしまつたあとなのである。しらぬ間に私はうとうとしてゐた。目が覺めたとき、皆の置き忘れた私のまはりは、小鳥の囀りにみたされ、朝陽がまともに紅葉の下枝深く射し込んでゐた。白骨の建築家は、床下から日をうけて、よみがへつたやうに見えた。靜かに、誇らしげに、紅葉の谷間(たにあひ)に、その空御堂をせり出してゐた。

 私は立ち上つて、身ぶるひして、體のそこかしこをこすつた。寒だだけが身内に殘つてゐた。殘つてゐるのは寒さだけであった。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5599

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年8月21日 07:09に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「映画 日本人 上映會」です。

次のブログ記事は「毀誉得喪」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。