凛として 參

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 竹鶴政孝さんが阿部社長よりスコットランドに行くように云はれたところまででした。
第1章 旅立ち
「どんな仕事も新鮮」蒸留所に飛び込み目と肌と鼻で学ぶ

ツテもなく渡英した24歳 つづき

 自伝「ウィスキーと私」(日経新聞連載『私の履歴書』に加筆、ニッカウヰスキー発行)には、「メッカのスコットランドに技術者として留学できる喜びと、この若造を、しかも入社一年たらずの私の事をそこまで信頼してくださるのかという人間としての感動、その二つが交錯して、つきささるような感激が私を襲った」とその思いをつづっている。

 故郷・広島の両親を説得し、仕事の後任を決め・・・。その間にも、洋酒づくりへの情熱はますます高まっていた。

 翌六月ヌ十九日、神戸港を出発。サンフランシスコ経由でぶどう酒づくりを見学した後、政孝は英国リバプール港に到着した。出発から、はや半年が過ぎていた。

 英国に上陸した正孝にウィスキーづくりを学ぶためのツテは何もない。持っていたのは英語で書かれた大阪高等工業(現大阪大学)醸造学科の卒業証書だけだった。

 政孝はスコットランドにあるグラスゴー大学とロイヤル工科大学(現ストラスクライド大学)の門をたたく。この物おじしない体当たり精神が、後々まで政孝の人生をあと押ししていく。  つづく

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コメント(2)

 先生、こんにちは。
 今月はじめに、余市のニッカウヰスキーの工場へ行きました。直前に、竹鶴政孝氏に関する本「ひげのウヰスキー誕生す」(非売品)を読んで行ったので、現地でも感動。どうもサ○トリーよりもおいしいような気が・・・。
 何かを成し遂げようとする強い意志と度胸はすごいですね。はるばる異国の地へ渡ってきたリタも好きになりました。

 秋の夜長は、ウヰスキーでもなめながら読書・・・飲み過ぎないようにしようっと!(先生もね)

 orkさん、コメント感謝します。お久しぶりですね。お元気そうでなによりです。そうなんです、ニッカを知るとニッカが好きになります(もともと私はスーパーニッカの熱愛者ですが)。今度是非、サントリー山崎工場へ来てください(京都)。ご案内します。そうすると今度はサントリーのファンになります。なんにせよ、我が國はすごいですね。他國人が、日本酒に命を懸けるなど考えられませんもの。先輩たちは「何をなしたか」より「どう生きたか」で世の中を創造してきました。私もそうありたい。といつも願っています。飲みすぎ?いつもです(笑)。秋の夜長をお楽しみください。

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このページは、宝徳 健が2014年9月17日 15:56に書いたブログ記事です。

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