触れて觀じる

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 タイプミスではありません。あえて「觀じる」としました。

 本はいいですね。一昨日の夜、なかなか寢付けないので息子に本を借りました。PHPといふ月刊誌です。この本は、人の心をきれいにしてくれます。特に最初のコーナーの「生きる」と最後のコーナーの「讀み切り小説」です。そして、讀者からの「談話室」もいい。目がうるうるします。
 「談話室」からひとつ紹介しませう。

「先週末に出かけたスーパーマーケットでのこと。買い物を終えてレジに向かうと長蛇の列ができていました。そのため、私はすぐ前に並んでいた小学生の女の子と立ち話をすることになりました。彼女は片方の手に貯金箱を、もう片方には数本のバラを抱えていました。聞けば、お母さんの誕生日らしく、前々からお母さんにお花をプレゼントしてあげようと、毎月少しずつお金を貯金箱に貯めていたとのこと。私はその話に胸が熱くなりました。数分が経過し、レジの順番が回ってきた彼女は、高揚した顔で貯金箱を開き、山のような一円玉や十円玉をカウンターの上に置きました。それを目にした店員さんは列の後方に並んでいる私たちに『当店に来てくれたこの小さな大切なお客様のために、皆さまの貴重なお時間をほんの少し頂けないでしょうか?』と笑顔でおっしゃり、皆もまた笑顔でうなずき了承しました。この店員さんの機転や、心の優しさ、その場にいたお客さんたちの寛大さ、そして少女のお母さんに対する思いやりの深さを感じ、とても幸せな気分になれました」

 日本人ですね~。國民主權とか基本的人權とか、アホみたいな言葉で民主主義を聲高らかに叫ぶやうになりました(敗戰後)。もともと我が國には、權利・義務思想がありません。だから、國民主權とか、基本的人權などといふ歐州で暗黒世界から脱却したいがために生まれた言葉など不要なのです。

 歐米や支那は「奪い合つて足りなくする」社會です。我が國は、「分け合つて餘まらせる」社會です。

 以前も紹介しましたが、アメリカの小話があります。「姉と妹(スージー)がいました。おやつの時間になりました。ケーキが一個しかありません。姉が泣きながら言いました『スージーちゃんのケーキがない』」

 これがアメリカでは、「よい姉」とされます。

 前述したPHPの話は、みんなが忙しいのに、貴重な時間を「分け合つて」「愛を餘らせる」ことですね。日本人は素敵です。

 本はいい。触れて觀じることができます。心の垢をそぎ落としてくれます。

 その他、正月は普段觀ないTVに触れるので、いろいろなことを考へることができます。ドイツがギリシャに財政再建ができないならEUを離脱しろといひました。

 EU型システムでは、ひとつの國が財政再建をしようとすると「緊縮財政」しかありません。緊縮財政が惡いとはいひませんが、財政政策は取れても金融政策を講じることが不可能なEU型では、經濟發展はありえません。自國に通貨發行權もないのです。

 グローバリズムの名のもとに、ボーダレスを進めようとしているやからがゐます。危險です。

 さあ、皇紀弍千六百九七十五年、平成二十七年、2017年。事實と眞實と眞理を探求し、我が國を正しく考へるやうにしませう。

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このページは、宝徳 健が2015年1月 5日 05:44に書いたブログ記事です。

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