歌會始(皇紀弍千六百七十五年一月七日)

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 本日は、昭和天皇のご命日です。歴代で最も苦労をされた天皇陛下です。
 明治時代には、明治天皇を補佐する元老たちがゐました。江戸時代は軍事政權です。だから諸外國との接し方を知つてゐます。特に、外交面で。

 我が國が、なぜ世界で唯一續いたか。それは軍事大國だつたからです。それも平和な軍事大國です。政治は軍に口を挟まない。軍は政治に口を挟まない。このルールが嚴かに守られてゐました。今の、曲解したシビリアン・コントロールなどではありません。

 日清・日露戰爭に勝ちました。その後、元老たちがどんどん亡くなつてしまひました。明治政府が行つた最も誤つた政策は、高等文官試驗(今の國家公務員上級職試驗)です。我が國は、支那が作つて支那が實現できなかつたことをどんどん取り入れて、自分のものにしてゐきました。でも、支那の惡習は取り入れませんでした。拷問、纏足、宦官、科挙・・・・。

 それをなんと、下級武士の反亂であった明治政府は、科挙、つまり、高等文官試驗を取り入れてしまつたのです。元老たちが亡くなり、どんどん官僚がのさばるやうになりました。

 昭和天皇は、かはいさうでしてた。まともに判斷できる政治家や官僚が少ないばかりか、皇族の近衛文麿がモスクワ・コミンテルンのスパイたちを側近におき、我が國を潰してしまふのですから。

 昭和天皇が正しい判断をしようとしても、、ことごとく潰されてしまひます。

 それでも、昭和天皇がおわしたので、我が國が救はれました。

 崩御されてからもう二十七年になるのですね。

 さて、歌會始です。今年こそ應募しないと。私は、今から大臣になることはできません。勲章ももらへないでせう。だとしたら宮中に參内できるチャンスは歌會始しかありません。やるぞー。

 今年の天皇陛下、皇后陛下の御製とお歌です。

今上天皇陛下御製
慰霊碑の 先に広がる 水俣の 海青くして 静かなりけり

皇后陛下お歌
み遷りの 近き宮居に 仕ふると 瞳静かに 娘は言ひて発つ


 

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このページは、宝徳 健が2015年1月 7日 08:40に書いたブログ記事です。

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