守るべき存在(皇紀弍千六百七十五年二月七日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 和歌山県紀の川市で十一歳の男の子が何者かに殺されました。心からお悔やみ申し上げます。御家族のご心中はいかほどのものでせうか。お察し申し上げます。
 許せません。

 私はかなり出鱈目で弱い男ですが、ひとつだけ身にしみてゐることがあります。

 それは、(子供や老人など)弱い人間と女性は必ず守らなければならないといふ思ひです。

 ですから、子供とか女生徒かと一緒にゐるときは、今、ここで誰かが襲つてきたらどう守るか、とか、今、一緒にいる(女性とか子供とか)人は、安全な状態にあるのかを常に考へます。

 譬えば、道路を歩いてゐるときは、車が通行している側を私が歩きます(これは當たり前のことなのですが、親でさへやつていないケースを最近見かけます)。さういふ道路事情がないときは、私が右側を歩きます。利き腕である右腕をフリーにするためです。

 子供といふ守るべき存在を、大人が殺す・・・・・・。 有り得ないし、許されることではありません。

 十一歳といへば、成長を樂しみ始める頃です。これまで出來なかつたことがどんどんできるやうになり、親をどんどん追い越し始める頃です。幼い頃の可愛さから、大人への樂しみへと變はり、親を新たな樂しみの領域に連れていつてくれる頃です。

 どうしてこんなことに・・。どうしてこんな時代に・・・。どうしてこんな我が國に・・・・・。

 人の責任にするのではなく、自分にも責任の一端があると考へる必要があります。一人一人がかつての我が國臣民が持つてゐた、「國家のために一隅を照らす」生き方をしていかないと。

守れこの 國の寳と なる人を 我の身捧げ 國家のために
 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5970

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2015年2月 7日 03:58に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「東風解凍(皇紀弐千六百七十五年二月五日)」です。

次のブログ記事は「自分探しなど不要な國だつた(皇紀弍千六百七十五年二月七日 弍)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。