カルネアディスの板(皇紀弍千六百七十五年八月十八日の日誌)

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 先日、IKさんんとTJさんが事務所に來てくださいました。本をたくさんもらつてくれました(數十冊)。助かりました。寳物本を除いて、どんどん上げますので、みなさんももらつてください。

 さて、先日、緊急避難と蜘蛛の糸の話をしました。その緊急避難の話は、古代ギリシャの哲学者 カルネアディスが思索的課題として取り上げられた例であるところから付けられた名称です。  カルネアディスは次のように問います。
 たとえば、船が難破して船員が海に投げ出され、漂流しているときに、二人の船員のところ に一枚の板きれが流れてきたとする。その板きれは一人がすがるのなら十分であるが、二人を支えるほどの浮力はない。この場合に、一方が他方を故意に追いや り、あるいは沈ませて板きれを確保し救助されたようなとき、助かった者は果たして仲間の死について責任を負うべきかどうか、と。神話の「カルネアディスの板」といふ話に基づいてゐます。

 法律家や思想家といふのは、かういふのを懸命に考へる人種なのでせうね(笑)?

 では、かういふのはどうでせう。

 やはり、船が遭難しました。あなたは救命ボートに乘りました。救命ボートには、あなたも含めて10名乘つてゐます。その10名のうち1名が、傅染病にかかつてゐるのがわかりました。そのままにしておくと、10名全員が死んでしまひます。

 さあ、あなたなら、その1名をどうしますか?

 人間社會とは殘酷なものです。

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このページは、宝徳 健が2015年8月18日 03:37に書いたブログ記事です。

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