抑留の日(皇紀弐千六百七十五年八月二十四日)

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 昨日、八月二十三日は「抑留の日」です。

The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.

 ポツダム宣言の一文です。

 「日本の軍人は武装解除の後、家庭に歸へり、平和に暮らせるやうにする」と云ふ意味です。ところが・・・
 昭和二十年八月二十三日、満洲などで降伏した日本軍の将兵の中から五十萬人をソ連領内に連行せよ、とスターリンが極秘指令を出しました。

 實際には、六十万人とも云はれてゐます。死者は約六万人。

 私の祖父も抑留で死亡しました。

 不埒な國家にとつて國際法など、どうでもいいのです。

 なので、國家安全保障が機能しないと、かういふことになります。

 拉致被害者もさうです。臣民は、今の我が國が主權國家ではないといふことがわかつてゐません。國民主權など、およそ主權者としての見識もない人間たちが主權を握つてゐるからです。

 だから、國會であんなくだらない議論をし、安全保障と戰爭を同一視する愚かな臣民がたくさんゐるのです。

 自分の身内が攫われたらどうするのでせうか?

 國が守るしかないのです。そんなことがわからないのだらうか?

 ふるさとを 想ひ異國で つきはてる 妻子を想ひ 祖國を想ひ

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初めまして。突然のコメントお許し下さい。私は大分市に住んでおります河原畑(カワラバタ)という者です。実は昨日、うちに御友人の中本哲也さんが遊びに来られまして、宝徳様の事を御紹介頂きました。わたしの考えに似ているのでは。と言うことで、貴殿のブログを拝見いたしました。私は、陶芸を職業でやっている手前、日本の歴史、伝統文化に大変興味が有ります。貴殿のブログを拝読し、是非、機会が御座いましたら、一度お目に掛かりたいと思っております。中本さん11月までは大阪に居られるとのこと。もし、御都合がつきましたら、是非、宜しくお願い申し上げます。伺いましたところ、御入院をされているとのこと。どうぞ御大事になさって下さい。それでは、いきなりの書き込み、お許し下さい。失礼致します。

 河原畑さん、コメント感謝します。中本君からメールをいただきました。私もぜひお会いしたいと思っています。大阪にいらっしゃった時は是非お声かけください。大分は大好きな土地です。私も遊びに行きますね。入院はたいしたことはありません。お気遣いありがとうございます。

ご返信有難うございます。はい、是非、大阪に行く際にはご連絡をさせて頂きます。尚、今後、九州出張の機には、是非大分へもお立ち寄り下さい。中本氏から伺ったところ、お酒がお好きとのこと。私は仕事柄、お酒を飲むのも仕事と思っておりますので、是非、一杯お願い致します。では、この度はご縁を頂き、有難うございました。

 河原畑さん、ありがとうございます。是非連絡をくださいね。満喫大阪プランを準備しておきます。大分は大好きなんですよね~。私はすべての都道府県に行きましたが、大分の魚が一番おいしいと思っています。大分市もいいですが、臼杵、佐伯なんかにいくとまたおいしいですよね~。神社好きの私が、まだ行っていない数すくない神社が宇佐八幡宮です。ここにも行きたいと考えています。
 こちらこそ、このご縁を大切にします。中本氏に感謝です。

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2015年8月24日 04:32に書いたブログ記事です。

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