心學 5(皇紀弐千六百七十五年十月十五日 弐)

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 やつと、かうやつて夜、活動ができるやうになりました。體力が囘復してきました。いいですね~。自分だけの時間に、好きなことや仕事をする。至福の時です。

 ひとつ前の記事で、「喧嘩ができない男」のことを書きました。古典を讀んでゐないこともその原因の一つでせう。我が國には、心學といふ素晴らしい道があります。

 「道」。いいですね。我が國は、戰ふことを「道」とします。劍道では、これから戰ふ相手に蹲踞します。柔道では禮をします。お茶を飲むことまで「茶道」といふ「道」にしてゐます。華を活けることを「華道」とします。匂いをかぐことまで「香道」とします。私たちは、人間の「生きる行爲」をすべて「道」にす稀有な民族なのです。

 「道」。さうです、自分と向き合い正しい勝負をする行ひです。こんなにも素晴らしものがたくさん我が國にあるのに、海外のものをありがたがる。不思議です。

 さて、前囘の續きです。
 もしあなた方が、親御へ口ごたへをなされたり、また親を泣かせたり、主人に心配させたり、難儀をかけたり、夫に腹を立てさせたり、女房に心づかひをさせたり、弟をにくんだり、兄を侮つたり、世間へ難儀をかけちらすは、皆扇で尻(おいど)をぬぐひ、見臺(けんだい:本を開いて乘せる臺)を枕にしてござりといふものぢや。御當所には、左樣の人柄はござるまいけれども、天竺の横町には此連中がたんとゐる。御用心なさりませ。

 つくづく思うて見れば、意地の惡い生まれつきでも、いたし方ござりませぬに、幸(さひはひ)に、御たがひに、無理のない心を持つて生まれましたは、千萬金にも替へられぬ有りがたい事ではござりませぬ歟(か)。

 この無理のない心を我方(わがほう)では、本心と申します。尤も仁と本心と、となへ処によつて、すこしの差別はあれども、そんな事の吟味すると長うなる。唯本心は無理のないものとおぼしめして、間ちがひはこざりませぬ。今日各々樣に、御一人〱お目にかゝらいでも、おの〱さま方のお心に、すこしも無理はござりませぬと知れまする。其證據にはいふまじき事をいふ歟、すまじき事をすると、忽ち腹の中が何とやら心わるう覺える。是無理のない心をもつて無理なするゆゑ。心がねぢれて心がわるいのでござります。

 是はこれ千人萬人みな同じ事でござります。古歌に、

鳴瀧の 夜の嵐に くだかれて ちる玉ごとに やどる月かけ

 これは月一ツなれども、ちる玉ごとに、各(おのおの)そのかけをやどす天理の妙用。仁はひとつの仁なれども、萬人みな是を分持つて(わけもって)居まする。ソコデ世界中の人のこゝろに無理のないといふ事が、チャント勘定が出來まする。 つづく

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このページは、宝徳 健が2015年10月15日 01:36に書いたブログ記事です。

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