心學 6(皇紀弐千六百七十五年十月十七日 弐)

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 つづきです。
 さるに依つて、此無理のない心にしたぐて物ごとをすれば、皆あるべきやうに成つて、孝行、忠義もおのづから出來まする。ナント早い學問ではござりませぬか。タッタ一ツ合點すると、百年學問した人と、行ひにおいて、何もかはつた事がござりませぬ。ドウゾ本心に御したがひなされ、是を先生として、御稽古をなさるがよろしうござります。我本心を師匠にすれば、御祝儀もいらず、暑寒の見廻(みまひ)にもおよばず、心やすう忠孝はつとまる。ありがちをしへでござります。

 しかしあまりやすいと、得て御うたがひの起こるものじや。決してやす物でも御賈ひかぶりの氣づかひのあるのではござりませぬ。押切つて本心におしたがひなされるが宜しうござりあす。中庸(ちゅうよう:支那の古典)には、「性に率(したが)ふ、之を道と謂ふ」と、急度(きつと)御證文の請合がござります。御氣づかひなしにつとめなされ。

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このページは、宝徳 健が2015年10月17日 03:00に書いたブログ記事です。

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