神武天皇崩御二千六百年(皇紀弐千六百七十五年十月二十三日 參)

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 平成二十八年四月三日に橿原神宮で「神武天皇二千六百年大祭」が催されます。絶對に行きます。來年の手帳にセットしたら最初に豫定を書き込みます。

 さて、神武天皇(カムヤマトイハレビコノミコト)の話しをしようと思つたら古事記解説になつてしまひました(笑)。昨日のつづきです。私の著作「どの本よりもわかりやすい古事記」(とは言つても一般には出版してゐません)からです。

 ニニギノミコトの二人の息子を火遠理命(ヒホリノミコト:山幸彦 弟)、火照命(ホデリノミコト:海幸彦 兄) と言います。ここでは、山彦、海彦と呼んでいきます。
 さあ、いよいよ山彦・海彦の物語です。

あるとき、山彦(以下、ヤ)が兄の海彦(以下、ウ)に ヤ「兄さん、僕は山で獣を狩るのに飽きた。兄さんも毎日海で釣りをするのは飽きたろ? 一度道具を取り替えて、兄さんは山に、僕は海にっていうのどうだい?」(かなり脚色しています)。 ウ「えっ、何いってんだい! それぞれの持ち場でいいじゃんか」 でも、山彦は諦めずに、何度もしつこくお願いして海彦はしぶしぶと ウ「一回だけだぞ!!!」と釣り針を山彦に渡しました。ウ「これは、すんげぇ、大切な釣り針だから、絶対に亡くすなよ!」 ヤ「わかってるよ」

 ところが、山彦は釣りをしているときに、この釣り針を亡くしてしまったのです。

ヤ「お兄ちゃん、ごめん、釣り針なくしてもうた」(急に関西弁、なんかあってるので)。
ウ「お前、何言うてんねん。ぜったいに返すていうたやろ! はよ、返さんかい!」
ヤ「そんなかて、なくしたからないねんもん。そしてら弁償するわ」
と言って、腰の十拳の剣(とつかのつるぎ)を抜いて、500本の釣り針をつくりました。

ウ「わしが言うてんのは、その釣り針やない。お前がなくした、あの釣り針じゃ!海んなか行って、はよ、とってこんかい!」
 お詫びにさらに1000本の釣り針を山彦はつくりますが、それでも許しくれません。
ヤ「そんなん、むちゃやがな」

どうしても許してもらええない山彦は、トボトボと海岸を歩いていました。すると、塩を満ち干を司るる神様が、

「天の子が、なんでそんなん、しょんぼりしてはんの?」と聞いてきました。山彦が事情を話すと、籠の船をつくってくれて、「これに乗って、海の中に行きなはれ。そしたらワタツミ(海の神)の娘がやってきて、きっと相談にのってくれるはずやで~」

山彦がその通りにすると、娘がやってきました(ここからは長いのでちょっと割愛)。この娘は、トヨタマビメの召使でした。その娘を通して山彦に会った、トヨタマビメは、山彦に一目ぼれ(こればっか)してしまいました。

古代では、男と女が見つめあうことを「目合い(まぐわい)」と言って、男に見詰められて、女が目をそらさずにいると「いつでもOK」ということだったそうです。いいですね。

※昨日も申し上げますがが、この山彦が福井県小浜市の 彦神社(若狭上神社)で、トヨタマビメが姫神社(若狭下神社)です。ここは、奈良のお水取りのお水が送られる場所です

 さて、山彦とまぐわった、トヨタマビメは、父のワタツミにすごくいい男であることを報告しました。(海神と書いてワタツミとも読みます。海の神様です)。

 ワタツミがみてみると、なんと天つ神の子ではありませんか。ワタツミは喜んで、トヨタマビメを妻として、毎日盛大な接待をしました。それは夢のような楽しい日々で、あっという間に三年間が過ぎてしまいました。


 山彦も、さすがに三年間もここにいると、ホームシックにかかりました。それに気づいたトヨタマビメは父のワタツミに相談します。

ワタツミ(以下 ワ)が山彦に聞きました「いったい、どないしはりましたん?」(またまた関西弁)。 ワ「なんでもゆうてください。力になりまんがな。ずーっと聞いてまへんでしたが、三年前、なんでここにきはったんですか?」 山彦は、これまでのいきさつを述べました。

 ワ「なんではよう、いうてくれはらへんのでっか。よろしおま、さっそく調べます」。ワタツミは大小の魚をすべて呼び集めて問いただしました。

 ワ「誰か、三年前に、こんな釣り針飲み込みよったやつおらへんか?」すると、一匹の魚が前に進み出て「知り合いの鯛がのどになんか引っかかって、いうとりましたわ」。

 ワタツミが鯛を呼び寄せてのどを見ると、確かにその釣り針が引っかかっていました。そしてそれを、山彦に献上しました。

 山彦は、これで国に帰れると喜びました。しかし、ワタツミは厳しい顔で言いました。「山彦はん(実際には尊い方なのでこんな表現はしていません)、まだよろこんだらあきまへん。この釣り針をお兄はんに返すときに、必ず、こう言いなはれ「この釣り針は、ふさぎばり、あわせばり、貧乏ばり、おろかばり」そう言いながら、後ろ手で渡しなはれ。 それと、お兄はんが、高いところに田んぼつくりはったら、あんさんは、くぼ地に、お兄はんが、くぼ地に作り はったら、あんさんは、高いところに作りなはれ。そうすれば、わては、水の神やから、あんさんにきっといいことがおきます」

 ワ「それと、そのことで、お兄はんが、怒りはって、攻撃してきはったら、この「塩盈珠(しおみつたま)」を取り出してお示しなはれ。そしたら、お兄はんは、おぼれて助けを求めはるでしょう。次にこの「塩乾珠(しおひるたま)」を出したら、水が引きます。これで、お兄はんは、あんさんに服従するで しょう」

 山彦は、国に帰り、釣り針を言われた通りの方法で海彦に返し、そして、言われた通り田をつくりました。海彦が高いところに田をつくると、そこに水が湧き稲が枯れ、くぼ地につくると、また底に水が湧き、稲が枯れました。それを怒った海彦が山彦に攻めかかると、山彦はワタツミに言われたとおりに、ふたつの珠を使って、海彦を服従させました。

 これで、山彦が国を治めたことになります。さあ、、、次号で、いよいよ神武天皇が登場します。おもしろいでしょ? 日本は、すばらしい文化をもった国です。

※我が國の歴史は、山の民が海の民を平定したものです。これと世界史がどうかかはつてゐるかを次囘解説します。

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このページは、宝徳 健が2015年10月23日 08:37に書いたブログ記事です。

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