心學 十(皇紀弐千六百七十五年十一月三日 明治節 弐)

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 「ソコデ先生が」のつづきでしたね。
「それは中々大ていの事ではございますまい。夫(それ)なれば、さだめて肩こしを揉む按摩の稽古も、御仕(おし)こみなされたのであらう」といはれた。主人むつとしたる顔つきで、

「貧乏はいたしてゐれども、娘に按摩のけいこはまだ習はせませぬ」といはれた。道二先生笑ひながら、

「それは近ごろ御心得ちがひでござりませう。貧乏、金持ちによらず、女は夫の家にかしづけば、先方の親たちを我が親としてつかへるが道じや。其大切な舅姑御が御病氣の時に、ゑかき、花むすび、茶や花では、御かいはうは出來ませぬ。出入の按摩やをなご衆の手をからず、嫁御が眞實に親たちの肩こしをなでさすりして御介抱なさるるが、嫁御の道でござります。其道の修行に、按摩の御稽古はまだ歟(か)と申したのでござります。とかく役にたつ御稽古が肝要じや」といはれました。流石(さすが)の主人も大きに我(が)を折り、赤面して御詫びを申されたと承はりました。

 なるほど琴三味線もよろしいが、撫でさすりの介抱を心がけるが、子たるものの道じや。是で道はどこにあるやら、とくと御考へなされませ。

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このページは、宝徳 健が2015年11月 3日 03:47に書いたブログ記事です。

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