大和言葉 廿參(皇紀弐千六百七十五年十一月十八日 弐)

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 大學受驗で初めて上京しました。父が單軆赴任で東京にいたので、家族全員が福岡から引つ越しました。

 でかい街だなあと思ひました。新宿駅など、出口を間違へるとどこを歩いてゐるかがわからなくなりました。澁谷で、銀座線に乘らうと思つたら、なんと四階から出てゐました。

 家に歸つて母に、
「東京はすごか~。天神(福岡の繁華街)が、いくつもあるつつえ」
「東京はくさ、地下鉄がくさ、四階から出とるとよ。東京は面白か~」
 大學に入學しました。同じ學年に紺野美沙子さんがゐました。何の授業だつたかは覺へてゐませんが(一般教養。彼女は文學部)、席について、ふと横を見ると、三人ぐらい向かうに、紺野美沙子さんが座つてゐました。


 「きれか~、こげなきれいな人がおるとかいな」と思ひました。

 家に歸つて母に「今日くさ、紺野美沙子が同じ授業におつてくさ、むちゃくちゃきれかとよ」と告げました。

 母はいつも、ニコニコしながら私の話を聞いてくれます。

 さて、話は變はりますが、これもある授業でのことです。先生が「何か質問はあるかね」と聞いたとき、ある學生が手を擧げて「あのね、これね・・・」と質問し始めました・・・。

 目上の人に、こんな言葉を使ふと、博多では死刑です。全く知らない學生ですが、飛んで行つて、毆らかと思ひました。「先生に向かつて、どげな言葉を使つとおとね。なんばしようとね」と。しませんでしたが。

 東京のカルチャーショックはいろいろありました。うどんやそばの汁が黒い。「ごげな汁の黒かうどんやらくえるわけなかろうもん」。きつねうどんの油揚げなど、ゴワゴワして食えたものではありません。


 ボクシングを観に行きました。ボクサーがへまをすると「なにやつてんだよ~」。おかまの集團かと思ひました。博多なら「なんばしよつとか、きさん」です。


 田舎者だつたのですね~。

 東京のカルチャーショックはさておき、先ほどの目上の人に對する言葉遣ひも亂れてゐますね。

 こんな言葉遣ひでは、目上の人と「誼(よしみ)を結ぶ」ことが出來ません。

 「誼を結ぶ」。素敵な言葉ですね。目上の人との交流で「おかげさまで〇〇さんとは、誼を結ばさせていただいてゐます」。

 「誼」も素敵ですが、ここでも結ぶといふ、結いの文化が出てきました。我が國は、包みと結びの文化です。風呂敷で包む、水引で結ぶ・・・。これも素敵ですし、精神においても、心を結ぶ、誼を結ぶ・・・。

 お互いに相手を包み込める互譲互助ができるやう自分を鍛へる。相手と心や誼を結べるやうに、自分を鍛へる。

 大和言葉をたくさん使つて、素敵な人と誼を結びたいものですね。

包み込み 結び結ばれ 譲りあひ 支えあふこと さきはふ國に 

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このページは、宝徳 健が2015年11月18日 06:09に書いたブログ記事です。

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