大和言葉 參十九(皇紀弐千六百七十五年十二月二十五日 弐)

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 子供の頃、影踏みをして遊びませんでしたか? 私たちの子供の頃は、まだ我が國が貧しく、親は子供に十分なおもちゃなどを賈ひ與へることができませんでした。また、あのバカみたいなITなんかもありませんでした。

 野球ゲームや人生ゲームを持つてゐる子供は英雄(笑)でした。

 親も、「家の中で何をしてゐるの!子供は外で遊んでいらっしゃい!」と云ひました。

 外に行つて樂むためには、自らが工夫して、遊びを創造するしかありませんでした。
 だから、子供たちに、創造力がつきました。

 ちなみに、ナイフだけは持つてゐました。小刀とでも云ひませうか。鉛筆は自分で削つてゐました。子供たちは、器用にパチンコを作つたり、弓矢を作つたり、なんでもナイフでやつてゐました。あるとき、「危險」といふことで、メディアが一部のアホな親に扇動され、子供たちはナイフを取り上げられてしまひました。子供たちから創造性が奪はれました。大人はいつも子供たちに、いらんことをします。




 影踏みも、そとでの遊びのひとつでした。影なんて最近意識してゐないですね(涙)。影さんごめん。



 冬至が終はりました。一年で一番影が長くなるころです。

 大和言葉では、これを「寒影(かんえい)」と云ひます。

 「冬至の長く伸びた寒影に、いつさう寒さがつのりました。今夜は柚子湯にはいつて温まりませう」なんて、手紙に書いたら素敵ですね。

一年で 一番影が 長いとき 子供の頃の 遊び思ひて

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このページは、宝徳 健が2015年12月25日 06:07に書いたブログ記事です。

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