個別的自衞權のはうが徴兵制になりやすい(皇紀弍千六百七十五年六月二十四日)

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 私は、中高生のときに、「永世中立國とは素晴らしいんだろうなあ」と思いました。宣言さへすれば他國が攻めてこない國になるのだろうと誤解してゐました。

 大學生のときです、我が國初の女性大使 高橋展子さんの確か「ジュネーブ日記」といふタイトルの本を讀みました。



 高橋展子さんの生き方に感銘を受けるとともに、永世中立國 スイスの軍事的努力を知つてショックを受けました。「そんなのか~。永世中立國といふ地位を守るためには、徹底した軍事力が必要なんだ」と。

 スイスは一家に一臺 自動装銃が配置されてゐます。道路は廣く眞つすぐで、有事には戰闘機の滑走路になります。その道路には無数のマンホールがあります。もし、他國の戰車が侵入してきたら、そのマンホールから柱が出て、侵入を防ぎます。飛んでゐる戰闘機は、フランス製のミラージュです。

 國民は、定期的な軍事訓練を受けます。徴兵制もあります。

 なぜか。永世中立國とは、集團的自衞權を否定した、超個別的自衞權だからです。個別的自衞權だと徴兵制を採用せざるを得なくなるのです。


 中立とは、他國が侵略してこない國ではなく、「どの國に攻められても文句は言へない」状態なのです。これが、我が國臣民に理解されてゐません。

 現在、我が國近辺は、世界最大の軍事密集地です。世界最大の不埒國家 支那も、うそつき國家 ロシアもあります。その軍事密集地で、スイスのやうに個別的自衞權だけで生きていかうとすると、軍事大國中立國になるしかありませんし、それでは、亞細亞の安全保障に貢献することはできません。

 まあ、個別的自衞權と集團的自衞權を分けること自體がおかしいですし、なにより、米軍が駐留してゐること自體が集團的自衞權を、すでに行使してゐることになります。

 岡田、枝野、細野・・・・。バカですね~。今の平和安全法案は徴兵制つながるんですつて。これほどのバカを選擧で当選させる臣民とは、どれほど愚かな人たちなのでせうか???

 長く續いた、我が國の縄文時代(縄文文明)が、彌生時代に移りました。嘘だらけの我が國敎科書では、彌生時代から稻作が始まつたと書き縄文時代と區別します。冗談ではありません。我が國の稻作は1万年以上前から始まつてゐます。支那の何千年も前からです。稻作は大陸から傅はつたものではありません。我が國が大陸に傅へたものです。

 さて、なぜあの對人武器がひとつも發見されてゐない素晴らしい縄文時代が彌生時代に移つたか。なぜ、あの素晴らし縄文土器が無味乾燥な彌生土器になつてしまつたか。

 それは、支那大陸に漢ができたからです。支那大陸が統一され、我が國に攻めてきたからです。我が國は、やむなく、この世界で最も優れた國體を守るために、武器を作ります。土器も縄文土器のやうな素晴らしいものを作つてゐる時間がなくなりました。

 これが縄文時代から彌生時代へと移つていつた理由です。

 古事記でいふと、大國主命が、兄たちに殺されさふになり、素戔嗚尊をたずねて、新たなる武器をもらひ、兄たちを平定する頃です。兄たちが支那です。そして、少しの時間、籠つて武器作りに専念したことがわかります。海彦山彦も、他國から來た海彦を、私たちの民族である山彦が平定する内容です。古事記とは決してただの神話ではありません。私たちの祖先は、かふして、苦労して、苦労して、平和を維持するための軍事力を保持してきました。

 天皇陛下を頂点とする家族主義といふ國體がいかにすぐれてゐるかを臣民が知つていたからです。それが今の臣民に理解されてゐない。

 今回の平和安全法案に反對の愚かな臣民達へ。少しは歴史を學べよ。ああ、古事記も讀まない國籍だけの日本人がなんと多いことか。

國體も 知らず古事記を 讀みもせず 愚かな頭で 反を唱へる

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コメント(3)

時を同じく、今朝の産経抄にも中立國スイス➖自衛権、徴兵制の事が書いて有りました。

宝徳先生からは、いつも勉強させられます。
ありがとうございます。

20年ほど前に、超古代文明の謎解きから驚愕の事実を知ったあの時、あの頃を彷彿させてくれます。

先生、どうか小生を専属治療師-鞄持ちに 側に、置いてください。

 (笑)。ありがとうございます。とにかく早く一度お会いしたいですね。

ありがとうございます。
まるで、文通や、ネット社会だけで恋仲になった二人みたいですね(*^_^*)
実際、遠い親戚の若い二人がネットの出会いでゴールインしました。

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2015年6月24日 05:41に書いたブログ記事です。

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