シンデレラ・リバティ(皇紀弐千六百七十五年八月二十六日)

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 今日の産經新聞と讀賣新聞は、面白かったですねえ。日經は今から讀みます。

 今日の産經新聞の記事で、曽野綾子さんのものがありました。シンデレラ・リバティといふ言葉が紹介されてゐました。
 曽野綾子さんの家に、アメリカの大學教授夫妻が訪ねてきます。近くの横須賀に案内して欲しいとのリクエストに答へ、案内します。どぶいた横丁のことが書いてありました。そこで、知つた言葉がシンデレラ・リバティといふものだつたさうです。米兵がよく使う言葉ださうです。

 米国の大学教授もその言葉は知らなかつたさうです。

 意味は、門限があるので、夜通し遊べない米兵がよく使つてゐるのだとか。

 シンデレラは12時になつたら歸えらなければなりません。なので「門限まで自由」なんださうです。アメリカ人のかういふ言葉の使い方は上手ですね。

 曽野さんは、その中で、高槻の中學生殺人事件に触れてゐます。もちろん、殺害した、犯人が99.99%惡いとも。

 でも、中學一年生が、あんな時間に遊んでいるなんて・・・。と曽野さんも仰つてゐます。さう感じたのは私だけではなかつたのですね。

 子供は、親に養はれてゐます。当然のことながら生活に制限があります。それを「自由」「自由」と連呼してもしやうがありません。

 ネットやスマフォが普及し、それを使ふ人間が堕落してきてゐます。

 子供は、シンデレラ・リバティでいいんですよね。

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このページは、宝徳 健が2015年8月26日 06:16に書いたブログ記事です。

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